【第11回】 安部良夫氏(金属加工機械組み立て工・デンソー工業技術短期大学校校長)
「認められる喜びがやりがいにつながります」
第11回は、㈱デンソー技研センターのデンソー工業技術短期大学校校長の安部良夫(あべ・よしお)さんです。安部さんは島根県出身の1953年12月生まれの56歳。入社以来、金属加工機械組み立て分野を中心に、ほぼ一貫して技能訓練業務に携わっているデンソーの同業務の第一人者です。69年4月日本電装(デンソー)に電装学園訓練生として入社、72年4月工機部組み立て一課に配属、74年から職業訓練指導員として工業技術研修センターに異動、89年12月工業技術研修センター基礎教育課班長、96年1月技術技能研修部技能検定課係長、2005年1月デンソー技研センター海外コンサルティング部部長、06年1月同・研修部部長、08年1月技能研修本部副本部長、09年1月同本部長などを経て、10年4月から現職。この間、1973年4月技能五輪広島県大会「機械組み立て仕上げ」部門で優勝し、全国大会に出場したのをはじめ、76年12月技能検定2級治工具仕上げ作業の成績優秀で技能検定協会会長賞、85年8月全国高校定通制陸上競技大会の20周年表彰で同大会会長賞、2002年11月認定職業訓練事業で愛知県優秀技能者表彰、05年11月優秀技能で愛知県優秀技能者表彰など、数々の栄誉に浴され、08年11月には同年度の「現代の名工」に認定されています。
■会社関係者らの目にとまった訓練生時代
デンソーの「ものづくりを支える人づくり」の技能訓練分野の第一人者の安部良夫さん。ものづくりの第一線で活躍する技能者や、技能五輪選手などを数多く育て上げた実績の持ち主だ。時には、異業種の技能や知識なども学んで、ものづくりの多様化に備える先見性も発揮したりして……。「いつも教える時には、その3倍は勉強して準備しています」。語る言葉に自信が溢れる。それでいて、地元少年野球の監督として指導などに汗を流したり、最近は菊づくりにも挑戦するなど、多彩な表情も見せる安部さんだ。
入社から3年間の訓練生時代。そして、大会に備えて厳しい訓練を繰り返した「技能五輪訓練」。いずれも、その後の安部さんのものづくり人生を支える土台を築いた数々だ。今も振り返ると、鮮やかに蘇ってくるのか。口調が滑らかだ。
まずは、訓練生時代から。「機械の使える仕上げ工」の基礎技能と知識などを学んだ。「同期生は81人いました。基礎技能を学んだり、作業設備なんかも作りましたね。伸び伸びと技能や知識を学んだという印象が強いですね。訓練が終わると、体を鍛えるため、東刈谷の社員寮まで5キロくらい走って帰ったもんですよ」と、懐かしそうだ。そんな中、安部さんの仕事に対する真摯(しんし)な姿勢や、卓越した技能などが会社関係者らの目にとまり、技能五輪の選抜メンバーに選ばれた。
■「この程度」ならの油断で出場を逃す再チャレンジの全国大会
1973年4月、安部さんは、技能五輪広島県大会「機械組み立て」部門に出場、見事、優勝。技能五輪全国大会出場の切符を手にした。が、全国大会では入賞を逃した悔しい思いした。これを機に「全国レベルの技能到達」を目標に掲げ、技能五輪訓練の拍車がかかった。
すり合わせ定盤の3枚すり合わせ、製品の直角度を測定する「スコヤ」や角度測定に使用する「Vブロック」のラップ仕上げなどの、0.001mmを超える高精度加工を自ら行い、やすり仕上げでは、経験豊かな熟練者が持つ「カンコツ」をマスターして、計測器を使わずに平行度0.02mmに加工するなど、全国大会に向けて厳しい訓練を繰り返した。
そして、再チャレンジで臨んだ翌春の広島県大会。ちょっとした油断が致命傷となって、入賞を逃したという安部さん。「精度が求められる最終仕上げのキサゲで、これなら満点が取れると安心し、油砥石で加工面を擦ったところ、細かい粉が残っていて、平面にビシッと傷がついてしまって……」。今も、脳裏に焼き付いている痛恨事だ。が、それが却って、磨き上げた全国レベルの技能や、何事にも率先垂範で取り組んでいく姿勢を際立たせていて、安部さんのものづくり人生が開けていくのだから、人生は何が幸いするか分からない。待っていたのは、職業訓練指導員への抜擢だ。
■ほぼ一貫して歩んだ技能訓練分野
以来、安部さんはほぼ一貫して「ものづくりを支える人づくり」の技能訓練分野に取り組んでいく。「認められる喜びがやりがいにつながります」を糧に、安部さんは「技術革新に対応した技能訓練開発と実践」を念頭に技能訓練分野の体系化に情熱を注いだ。具体的には基礎から高度技能までを網羅した技能訓練体系の確立で、①専用機実習教材の開発と新規研修の立ち上げ②熟練者が技能を競い合う上級試験「保全」種目の開発③技能系専任職(エキスパート)昇進前研修④技能グランプリ「機械組み立て」職種の競技課題開発と競技運営⑤新入社員向け「気づきの研修」・「モノづくり入門研修」の開発と海外拠点展開⑥技能評価技法研修教材開発と指導実施――などを、職場の皆さんの協力も得ながら次々と具体化した。
とりわけ、ものづくりの多様化を背景に80年代から急増した高度合理化設備。安部さんがそこで着目したのは、それに対応した技能者づくりだ。スピンドルユニット組み付けや、あらかじめ定められた順序、手続きに従って、制御の各段階に逐次、進めていくPLC(プログラマブル ロジック コントローラ)制御による搬送装置組み付け課題などの専用機実習を開発する一方、生産設備製作、設備の保守保全に関する技能訓練実施体制も併せて確立した。それが、86年の「専用機実習教材の開発と新規研修の立ち上げ」だ。
■異業種の分野を学んで、ものづくりの多様化に備える
そこには、ものづくりの多様化を睨んだ地道な努力の積み重ねも。85年11月、安部さんは職業能力開発大学校の短期指導員訓練課程に入学、異業種の電子科を専攻しつつ、電子電気に関する専門知識や技能のほか、教育心理学、生活指導法などの指導科目も履修した。さらに、卒業後には専門分野の金属加工機械組み立てに加え、自身が電気、PLC 、ロボット制御なども指導できる「メカトロ指導者第1号」となって、多能的技能者としての先鞭をつけたことも見逃せない。
2004年には拡大する海外拠点を対象にした新入社員向けの「気づきの研修」・「モノづくり入門研修」を開発、目下、海外拠点で展開中だ。日本と同等の品質確保が求められる海外拠点でも、ものづくりの考え方や基本技能を短期間で教え込むために開発した新入社員用の研修だ。安部さんはこのため、その海外拠点展開に向けて自らも出張指導を行い、ローカル指導者育成にも取り組んだ。現在、中国など5カ国15拠点で154人の指導者が育成されていて、拠点独自の研修も可能となったという。
安部さんはまた、中央職業能力開発協会(JAVADA)の技能評価技法検討委員会委員をはじめ、技能グランプリ機械組み立て競技主査、日本自動車部品工業会「中小企業支援ものづくり部会」人材支援タスクフォ―ス(TF)のリーダーとして、社外でも「ものづくりを支える人づくり」の技能訓練分野の重要性をアピールするなど、次世代のものづくりを担う後進の育成に力を注いでいる一人だ。
■「父は雲州算盤の職人です」
「これが父の作った算盤です」。算盤袋から大事そうに安部さんが取り出した年季の入った1丁の算盤。この日、自宅からわざわざ持ってきてくれた父親が作った算盤だ。「えぇ、父は雲州算盤の職人です」。雲州算盤は、素早い珠の動きやパチパチと冴えた高い音色などが特徴だ。松本清張の小説「砂の器」では「高級算盤」として紹介された雲州算盤。1985年には手作り製法を保持する目的から、国の伝統的工芸品にも指定された島根県を代表する工芸品の一つだ。
「父は若い頃、関西の電機会社に勤めていましたが、旋盤操作を誤って、指を負傷してしまったので、故郷の島根県に帰ってきて、算盤職人になったと聞いています」。父親の算盤には「雲州佳章」の銘が刻まれ、安部さんが幼い頃でも「1丁随分高価な値段で売買されていた」という。
そんな環境に生まれ育った安部さん。父親の算盤づくりを眺めながら、自然とものづくりの面白さや楽しさを育んでいった。が、愛知県の日本電装(現デンソー)に就職が決まった時には、両親が「どうして愛知県の会社に就職するのか」と猛反対したという。当時、島根県の場合は、就職先の大半は地元か、隣県の広島の会社、遠くても大阪など関西地方止まりが相場だった。現に、安部さんの兄は地元の電力会社に就職した。
■「親の反対を振り切って」愛知県へ
それが、大阪を通り越して愛知県刈谷市の日本電装に就職するのだから、両親が反対するのも無理もなかった。「だから、親の反対を振り切って、という表現がぴったりです。でも、どうして振り切ってきたのか、今もはっきりは分かりませんがね」。その頃、流行っていたザ・フォーク・クルセダーズが歌った「青年は荒野をめざす」(作詞五木寛之)の心意気だったのか。それとも、「この道しかない春の雪ふる」(種田山頭火)の句境のようだったのか。安部さんは、人生の進路をピタリと愛知県へと向けた。
あれから41回目の春。父親とは取り組んだものづくりの分野は異なったものの、そのDNA(遺伝子)をしっかり受け継いで、自動車部品の技能訓練分野で見事、それを開花させている安部さん。あの時の「親の反対を振り切って」という選択は決して、間違っていなかったようだ。
