JAPIA ものづくり紀行

【第13回】 朝比輝男氏(機械加工・ジェイテクト)

「常に心がけているのは、必要とされる技能者を育てることです」

pht_no13_1.jpg第13回は、ジェイテクト高等学園副学園長の朝比輝男(あさひ・てるお)さんです。朝比さんは高知県出身の1952年6月生まれの58歳。68年4月豊田工機(現ジェイテクト)技能者養成所に入社、3年間の職業訓練生時代にフライス盤など機械加工の基礎技能を身につけ、71年4月自動車部品製造4課、72年12月同1課、83年3月高等学園専任指導員、91年同学園組長、96年1月同学園担当員(係長)、99年2月同学園グランドエキスパート(課長)などを経て、2005年4月から現職。また、1978年3月職業訓練指導員(機械科)をはじめ、87年10月1級フライス盤作業、89年3月1級機械保全作業、95年3月特級機械加工など、幅広く技能検定に合格されている複合技能士です。この間、1971年2月認定職業訓練修了時に成績優秀で愛知県知事表彰、87年11月優良指導員で愛知県職業能力開発協会会長表彰、98年10月認定訓練功労者で愛知県知事表彰、2002年11月優秀技能者で愛知県知事表彰を受賞するなど、数々の栄誉に浴され、09年11月には同年度の「現代の名工」に認定されています。

■同郷の一学年上の先輩を「頼って」ものづくりの道へ
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「絶対に泣いては帰れんぞ」。新たな決意を固めた"15の春"。今も、鮮やかに蘇ってくるという。あれから42年。「こほろぎのこの一徹の貌(かお)を見よ」(山口青邨)の句境のような"一徹さ"でフライス盤をはじめ、機械加工の技能を磨く一方、それらを理論的に裏付ける学識などを幅広く学んで、今や、ジェイテクトの名実ともに技能者教育の第一人者に。昨年秋には、そんな技能者教育や機械加工分野に印した数々の実績が高く評価され、ものづくりの世界では頂点を極める「現代の名工」の栄誉にも輝いた。「運が良かっただけです」。言葉少なに喜びを語る。謙虚な人柄がにじんでいようか。

ものづくりの世界に進んだ動機は人それぞれだが、同郷の一学年上の先輩を「頼って」だったというから、ちょっと意外な感じもしなくはない。加えて、「子供の頃からさほどものづくりに興味があった方じゃないんです」。そのせいか、中学校卒業後の進路には高校進学を含めて、二、三の案が候補に上っていた。それが一転して、ものづくりの世界へ。そっと背中を押してくれたのは、同郷の一学年上の先輩だったという。

「子供の頃から兄のような存在」の先輩。中学校卒業後、豊田工機に入社。一足先にものづくり人生を歩んでいた。帰省してきた時などには故郷の後輩らとも会って、就職先の生活ぶりなどを率直に話してくれた。なかなか後輩思いの"兄貴分的"な先輩だったという。「そんなこともあって、先輩を頼って豊田工機に就職することを決めたわけです。先輩は心強い存在でした。だから、就職することに不安はなかったですね」。

■別れの母の顔を見て決意を固める

とはいっても、微妙に心が揺れ動く15歳の少年である。ものづくり人生への覚悟を最終的に促したのは、母との別れだったようだ。「いつも厳しかった母がどういうわけか、あの日はバスで2時間はかかる在所(安芸)から高知駅まで見送りについてきてくれましたね」。懐かしそうに振り返る。「でも、高知駅での別れの際に見せた、何ともいえない母の顔はいまだに忘れませんね。一生忘れないと思っています」。時代が高度経済成長へと弾みをつける1968年春のことである。それが冒頭の「絶対に泣いては

帰れんぞ」の"15の春"の決意に繋がったのである。

「どのくらいの時間がかかったのか、もう忘れましたね。高知駅から高松へ。瀬戸内海を宇高連絡船で渡って岡山に。そして、愛知県の刈谷駅へ。長い列車の旅でしたよ」。昭和の"セピア色"の原風景が浮かんできそうな光景だ。そして、豊田工機技能者養成所の職業訓練生として社会人の第一歩を踏み出した。「私たちの期が今でも一番多かったと聞いています」。同期生は、愛知県を中心に全国から150人以上は集まっていた。「高知の田舎から出てきたものですから、同期生のみんなが大人に見えました。ちょっと萎縮したことを覚えています」。ものづくり人生がそろり、そろりと船出した。

■訓練生卒業時に「愛知県知事表彰」の栄誉を
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当初の成績は同期生の中で、ペーパー(学科試験)は「まずまず」のレベルだったが、腕(技能)の方は「もう一つ」と自己採点している。それが結果的に生来からの「負けず嫌い」の性格に火を点け、「同期生の中で絶対に一番になるんだ」と自らを奮い立たせることになるのだから、人生は何が幸いするかわからない。「例えば、会社には誰よりも早く出社しました。そして、帰りも誰よりも遅くまで残って仕事を覚えたものです。何しろ、当時は前へ前へと意欲が向かっていました」。そんな地道な努力を積み重ねた結果、3年間の訓練生卒業時の71年2月には職業訓練の成績が「優秀」と認められ、愛知県知事表彰の栄誉も手にした。

71年4月、製造現場の自動車部品製造4課に配属され、いよいよ実際の自動車部品製造に従事することに。一品一葉の各種自動車部品の試作関連の開発を担当。フライス盤を操作した重要保安部品の機械加工に関わり、技能レベルの高さを次々と証明していく。具体的には、フライス盤による複雑で「髪の毛1本ほどの世界」の100分の1mm単位の高精度な試作部品加工を短納で完成させるなど、高度な熟練技能者の実力者ぶりを発揮し、現場のリーダー役としても活躍した。

■プーリー自動加工ラインの稼働率大幅向上の考案も

その後、量産部門に移り、プーリー自動加工ラインの稼働率向上など、幅広い角度からものづくりに取り組んでいった。同自動加工ラインの機械加工、調整作業などをスタートに、燃料噴射ポンプ、ドラムブレーキなどの生産加工にも携わった。フライス盤のほか、旋盤、円筒研削盤など、多機種の機械加工をマスターするなど、多才な能力を発揮した。とりわけ、プーリー自動加工ラインの稼働率を大幅に向上させた「チョコ停」対策を柱とした考案は、関係者らの間で「画期的な改善策だ」として評価が高い一つだ。

改善前は、作業者がチョコ停の回数、内容などを記録していたが、記録忘れなどの問題点が表面化しないケースがしばしばあったという。そこで、機械のリレー回路の代替装置として開発された制御装置(PLC)機能を利用した稼働データの自動収集方法を考案。稼働データを使ってPM分析を行い、再発防止に向けて真のメカニズムを解析した上で、徹底したプーリー自動加工ラインの改善活動に取り組んだ。その結果、チョコ停がほぼ皆無となり、稼働率の大幅向上を実現させたという。

■製造経験を技能者教育にフルに応用
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そんな製造現場の経験を経て、後進を育成する技能者教育を担当するようになったのは83年3月から。以来、今年で27年を数える。この間、製造現場に送り出した教え子は1758人。その多くは、製造現場のものづくりを支える中堅技能者として活躍しているという。2005年4月には、ジェイテクト高等学園副学園長に昇進、持論の「選ばれる人間にならなければ」の含蓄のある"仕事観"をモットーに、次世代のものづくりを担う職業訓練生の技能者教育に情熱を注いでいる。

そればかりか、自身も「率先垂範」の精神で各種技能検定に挑戦、幅広く技能士資格を取得した実践者の一人でもある。後進の技能者教育の傍ら、ものづくりへの探究心はいささかたりとも揺るがない。「やはり、若い人に教える以上は聞かれたら、専門外のことでも答えていかないと駄目ですよ」。だから、必要に応じて油圧回路、機械の構造、電気回路などの技能や学識なども学んだという。その貪欲さには凄味さえある。

■現代の若者にどう教えるか、腐心する日々も
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「でもね」という。悩みもあるのだ。豊かな時代に生まれ育った現代の若者との仕事に取り組む姿勢の"温度差"だ。「私たちの頃と比べてハングリー精神が少なくなりましたね、現代の若者には。そういう若者にどう教えていくか」。その一方で、中国をはじめ、アジア新興各国の台頭。「うちでも、中国やタイの研修生を受け入れて技能者教育を行っています。かれらは一様に熱心に学んでいます。ぼやぼやしていると、日本はかれらに追い抜かれてしまうのではと危機感を持っています」。

ものづくり大国・日本。それをどう堅持していくのか。技能者教育の観点からも新たな課題が浮上する。「訓練生に常にいっているのは、会社は選ばれるところであって、選ぶところではないということです。というのも、こんな仕事をやってみたいと思っても、その仕事をこなせるだけの技能がなければできませんね。だから、選ばれるためには必要な技能なりをしっかり身につける努力をしなければダメです。若い人にはそういう積極性がなければ」。いわゆる"棚から牡丹餅式"ではなく、不断に挑戦していく努力が必要か。「水仙の葉先までわが意志通す」(朝倉和江)の芯の強さも。

■ものづくりへの熱い思いは不変 

今年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」などで、何かと話題満載の故郷・高知県。そういえば、ぺギー葉山が1959年に歌って大ヒットした「南国土佐を後にして」(作詞作曲武政英策)も。「私の故郷には、毎年春になると阪神タイガーズがキャンプを張りましてね」。さりげなく、故郷自慢をポロリと一つ。で、さぞや、かなりの酒豪かと思いきや、「それがアルコールの方はさっぱりダメでして」。思わず、「え!」。高知県人もいろいろのようである。

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『ものづくり紀行』口上

自動車部品産業は「ものを作る人々」によって成り立っています。国が認定した「現代の名工」をはじめ、技能オリンピックのメダリストも多数おられます。
そういう方々を訪ねて自動車部品という領域で「ものを作る人々」が持つ思いや、部品企業ならではの楽しさを知っていただく試みとして、不定期連載の形でインタビューをお届けします。
さすがに「京浜間」の物作る人々を活写したエッセイ集などを多数上梓しておられる小関智弘さんのようには参りませんが、なにとぞご一読のほど願い上げます。

 

INDEX

【31】桂山光弘氏 (アイシンAW)

【30】太田雅也氏 (東海理化)

【29】佐藤輝夫氏(アスモ)

【28】匠道場「入江塾」(京浜精密)

【27】沖光和義氏(小島プレス工業)

【26】横堀吉晴氏(ミツバ)

【25】小室和春氏(日立AS)

【24】高橋信雄氏(アルプス電気)

【23】高橋伸尚氏(市光工業)

【22】小岡芳美氏(トヨタ紡織)

【21】田中幸孝氏(東海理化)

【20】ブレーキ博物館

【19】ジヤトコヘリテージコーナー

【18】稲吉喜一郎氏(ジェイテクト)

【17】倭将人氏(小島プレス工業)

【16】池田重晴氏(AISIN AW)

【15】日ピスものづくり学校

【14】杉山良晴氏(日立AS)

【13】朝比輝男氏(ジェイテクト)

【12】三輪修氏(デンソー)

【11】安部良夫氏(デンソー)

【10】水野幸夫氏(豊田自動織機)

【09】中村誠次氏(豊田自動織機)

【08】秋山康夫氏(GKN)

【07】緒方栄一氏(プレス工業)

【06】佐藤賢修氏(デンソー)

【05】桂功氏(デンソー)

【04】杉浦悦夫氏(アイシン精機)

【03】都築數樹氏(アイシン精機)

【02】塚本高敏氏(アイシン精機)

【01】大橋正明氏(アイシン精機)