JAPIA ものづくり紀行

【第17回】倭将人氏(製図工・小島プレス工業)

「これからも自動車産業を支える一人であり続けたいですね」

 

pht_no17_1.jpg 第17回は、小島プレス工業電子技術部電子品質技術課主担当員の倭将人(やまと・まさひと)さんです。倭さんは三重県出身の1957年1月生まれの55歳で、現在も自動車の内装電子部品の設計開発分野で活躍されています。
1977年4月小島プレス工業に入り、樹脂成形の生産現場で製造に携わり、81年からほぼ一貫して設計開発業務に従事、途中、2000年から2003年までの4年間同製品の品質保証課長などを経て、2010年から現職。この間、1986年3月職業訓練指導員(機械科)免許、89年3月機械製図手書き1級技能士資格をそれぞれ取得する一方、93年11月「ケーブルのクランプ構造」、95年11月「レバー式ヒーターコントロール装置」で発明協会発明奨励賞を2度も受賞されています。そして、2009年11月に「愛知県優秀技能者表彰」を授与され、昨年11月には同年度の製図工部門で「現代の名工」にも認定されています。また、倭さんは小島プレス工業では6人目の「現代の名工」です。

■「高校は手に職がつく学校がいいなぁ」

「自分の意思次第で仕事が仕事を教えてくれたような気がします」「金型ができ、製品ができて、自分の仕事がどんどん形になっていく。そこにやりがいを感じます」――。長年の設計開発を通して培ってきた熟練の技の"妙味"であろうか。さらにいえば、ものづくりを極めた人ならではの、一種の面白さや醍醐味かもしれない。昨年11月には、レバー式ヒーターコントロール装置の大幅原価低減など、設計開発分野に積み重ねた一連の実績が高く評価され、2011年度の製図工部門で「現代の名工」に認められた。今や、名実ともに同分野の第1人者だ。「でも、(ここまでこれたのは)仕事へ向き合う姿勢に対する会社トップの一貫した教えや、お客様、上司、先輩など、多くの皆様のご指導のおかげと感謝しております」と、謙遜しきりだ。ものづくり人生35年目の春、「これからも自動車産業を支える一人であり続けたいですね」。にっこり笑った表情が晴れやかだ。

「彼は熊野高専(現近大工業高等専門学校)の出身でしてね」。2012年新春早々の新年会会場で小島プレス工業社長の小島洋一郎さんからお聞きした倭将人さんの経歴の一つだ。ひょっとしたら「三重県の人かな」の期待が膨らんだ。私事で恐縮だが、26年ほど前に三重県で暮らしたことがあって、懐かしさも加わった。で、初対面の挨拶もほどほどに「出身はどちらですか」。「三重県の鵜殿です」。

「鵜殿」といえば、06年1月に隣接する紀宝町と合併するまで和歌山県との県境を流れる熊野川河口に位置し、日本1面積の小さな三重県最南端の村で知られた。近くを熊野三山に通じる参詣道「熊野古道」が走り、東側には"黒潮踊る"で有名な熊野灘が広がる。熊野川河口の対岸は和歌山県新宮市で、製紙工場の城下町としても栄えた。

倭さんは、姉兄の3番目の末っ子として生まれ育った。両親は地元で小売業を営んでいた。そんな家庭で育ったことからも「子供の頃から特別にものづくりに興味があった方じゃなかったですね」。が、どういうわけか、高校進学を控えた"15の春"に「高校は手に職がつく学校がいいなぁ」と、父親から勧められた。「ま、そんなものかな」。1972年4月、地元熊野市にある熊野高専(当時は近大熊野工業高等専門学校)機械工学科に入学、ともかく、ものづくり人生への"扉"が開かれた。

■「製造現場の経験がものづくり人生の土台に…」
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進学した熊野高専ではものづくりのイロハをはじめ、機械工学を5年間学んだ。就職先に選んだのは、愛知県の小島プレス工業だ。在学時代から熊野高専の卒業生が毎年、数人ずつ就職している「馴染みのある」会社だったからだ。77年4月、社会人としての第1歩を同社で踏み出した。希望した配属先は、技術職。が、配属されたのは成形品のゲートカット、外観検査、箱詰めなど、樹脂成形の製造現場だった。

「これじゃ(同期に)出遅れてしまうじゃないか」。焦りにも似た感情を覚えたという。とにかく、一生懸命やるしかない、そのうちに技術職の道が開けるのではと信じ、与えられた仕事に打ち込んだという。そして、3年が過ぎようとしていた時、技術職への配置移動の話が持ち上がり、移動先の職場の上司から「待っているぞ」と声がかかった。

移動先は、自動車内外装部品関係の設計部署で、職場で紹介されるやいなや「いいか、真剣に仕事をやった人間とやらなかった人間とでは、たった1年でも歴然とした差がついてくるからな。どんな仕事でも一生懸命やらないと駄目だぞ!」。新入りとして「期待と不安」とが交錯する中、「鉄は熱いうちに打て」とばかりに"ゲキ"が飛んだ。9歳年上の熊野高専の先輩で、移動先設計部署の上司でもあるTさんからだ。

「油断してはいられないぞ」。目指していた技術職の部署で精一杯やろうと決意。日々の技能向上に向けて、自分として師と仰ぐ人たちに嫌な顔をされるほど通い詰めて教えてもらったという。樹脂成形を中心とした自動車の内外装部品の設計関連技能習得に積極的に取り組んだ。後々に振り返れば、「入社早々に製造部門に配属され、物を手に取って五感

で経験したことが、その後のものづくり人生の土台を作っていました。内外装部品の幅広い技術を身につけることができたのも、新入社員時代に製造部門に配属されたからだと思っています」。どこか、識者がいうところの「人生に何1つ無駄なことはない」の世界にも似ている。

■座右の銘「懸命に勇気を持って仕事に当たる」

希望した部署に配属されたのは入社から4年目だった。内外装部品の得意先製品設計図面の後工程、仕入先様へ金型の手配をかける仕事だ。具体的には、成立要件の検討をはじめ、得意先への検討結果説明、さらには形状変更の依頼、問題解決した図面の後工程への展開などのほか、得意先を含めた接客技術の習得も。そして、1年後の入社5年目に完成車メーカーの設計部門に出向、レバー式ヒーターコントロール(暖房器の温度などを調節する)の設計を担当、MR-2、マークⅡなどを手がける。

出向先では、基本的な車両空調システムを学ぶ一方、自社製品に要求される機能などを念頭に品質確保、原価低減など、自らの改善力アップに全力を注いだ。中でも、週に1度行われた「得意先での職場昼礼」における上司の訓令は、仕事に取り組む心構えを確立していく上で貴重な教えだったとも。その教えは「われわれは、日々仕事に当たってゆく上で勇気を持って当たらないといけない場面が数多い」ということで、これは自分自身に対する使命感に向かうに当たり感銘を覚えた「勇気」いう言葉について語っていた。

今も、それが鮮明に蘇ってくるという。振り返ってみると、座右の銘の「懸命に勇気を持って仕事に当たる」は、入社早々に"ゲキ"を飛ばしてくれた熊野高専の先輩で会社の上司でもあるTさんからの「懸命」、そして出向先の上司の「勇気」という2つ言葉が「自分の中では日々の取り組み姿勢としてキーワードになっていたんでしょうか」。この2人は、ものづくり人生の"恩師"のような存在である。

■「レバー式ヒーターコントロール」で本領発揮
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出向から2年後、再び、自社の設計部門に戻った。ハイラックス、ランドクルーザー、ビスタ、ターセル、カローラなど、受注部品の製品設計に従事、空調システムから要求される機能の1つ1つの実現に向かって品質、原価、日程などを睨みながら「良いものを安く早く」を追求した。そして、1980年代半ば、トヨタ車の中低位車種のヒーターコントロールの受注に当たり、原価低減や品質改善の目標が提示され、他社間との競合も始まった。それは裏を返せば、部品各社間の技術的力量が試されていたのだ。

満を持していたか、倭さんは本領を発揮していく。着目したのは、自身の設計技能に現地現物現実の"3現主義"による検証を加えて、どう革新的な構造設計を実現するかーーの1点だった。例えば、「ケーブル係り止め」。別クランプをなくし、ベースでしっかりと上から抱え込む、ケーブルをどう組めるか。部品をじっと眺め、思案する。すると、ケーブルインナーの幅だけを通過できれば良い、という処方箋が閃いた。まるで、禅問答のような世界だが、そこにはこれまでに蓄積してきた技能や知見の真骨頂があろうか。

そして、それを乗用車や商用車に搭載するヒーターコントロールのケーブル、レバーの固定方法を見直す「基材形状の変更」として具体化した。その結果、部品構成は大幅に簡略化され、構成部品がなくなり、部品原価の低減、さらには組み付け工数の大幅低減にも結び付く成果を上げた。具体的には、これまでの1ライン2人、全体で十数ライン十数人の生産体制を、「基材形状の変更」で1ライン1人体制が可能となり、十数人の工数を減らす改善へと結び付いた。

■設計から生産準備を含めた一連の効率化に貢献
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そればかりか、さらなる原価低減、品質不具合の改善に向けてケーブルの「抜け止め構造」を設計の構造段階から見直した。その結果、1台当たりの大幅な製造原価低減に繋がり、同様に他車種製品への横展開にも広がる成果も。加えて、特許や実用新案を数多く取得することで知的財産権面からも大きな成果を上げたとも。もちろん、その後の新型車型のレバー式でも広く採用されたという。

ヒーターコントロールはその後、多くの車種で電気プッシュ式に変わり、さらにその周辺部品とインテグレーション化され、電子化や高度複雑化が加速した。そんな中で、倭さんはこれまでの経験、知識、技能などをフルに活用し、設計、品質保証、生産など、あらゆる段階から課題や問題点を見つけ出し、立ち上げ前の生産準備段階に解決策を提案するなど、開発設計分野に新機軸を打ち立て、同分野の第1人者としての地歩を築いた。

「私が第1線で働いていた頃は、比較的それぞれの人が固有技術で仕事をこなしていて、各職場の組織力は現在ほど確立していなかったと思います。それぞれの人がOJT(社員教育の1つで、実際の仕事を通じて必要な技術、能力、知識あるいは態度や価値観などを身に付けさせる教育訓練のこと)からいろんなことを学び、自分がPDCA(事業活動における生産管理や品質管理などの管理業務を円滑に進める手法の1つ)のサイクルを廻す中、経験を重ねてきました。でも、そういう過去の仕事のやり方には時に、設計変更がつきまとっていて、多大な利益を損失させることもあったという反省があります」。ものづくりへの情熱は健在だ。「現代の名工」という頂点を極.めた現在でもなお、それは衰えを知らない。そして、次世代のものづくりを担う後進の育成にも力を注いでいる毎日だ。

熊野川の「川舟下り」が、この4月から7カ月ぶりに再開したという。昨年の台風12号の豪雨の被害を受け、運航をとりやめていた。水温(みずぬる)む季節から春爛漫へと、熊野川は次第に表情を変えていく。「熊野川筏をとどめ春深し」(相馬遷子)。ものづくり人生も、さまざまな年輪を刻んで一段と円熟味を増しそうだ。 

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『ものづくり紀行』口上

自動車部品産業は「ものを作る人々」によって成り立っています。国が認定した「現代の名工」をはじめ、技能オリンピックのメダリストも多数おられます。
そういう方々を訪ねて自動車部品という領域で「ものを作る人々」が持つ思いや、部品企業ならではの楽しさを知っていただく試みとして、不定期連載の形でインタビューをお届けします。
さすがに「京浜間」の物作る人々を活写したエッセイ集などを多数上梓しておられる小関智弘さんのようには参りませんが、なにとぞご一読のほど願い上げます。

 

INDEX

【31】桂山光弘氏 (アイシン・エィ・ダブリュ)

【30】太田雅也氏 (東海理化)

【29】佐藤輝夫氏(アスモ)

【28】匠道場「入江塾」(京浜精密)

【27】沖光和義氏(小島プレス工業)

【26】横堀吉晴氏(ミツバ)

【25】小室和春氏(日立AS)

【24】高橋信雄氏(アルプス電気)

【23】高橋伸尚氏(市光工業)

【22】小岡芳美氏(トヨタ紡織)

【21】田中幸孝氏(東海理化)

【20】ブレーキ博物館

【19】ジヤトコヘリテージコーナー

【18】稲吉喜一郎氏(ジェイテクト)

【17】倭将人氏(小島プレス工業)

【16】池田重晴氏(アイシン・エィ・ダブリュ)

【15】日ピスものづくり学校

【14】杉山良晴氏(日立AS)

【13】朝比輝男氏(ジェイテクト)

【12】三輪修氏(デンソー)

【11】安部良夫氏(デンソー)

【10】水野幸夫氏(豊田自動織機)

【09】中村誠次氏(豊田自動織機)

【08】秋山康夫氏(GKN)

【07】緒方栄一氏(プレス工業)

【06】佐藤賢修氏(デンソー)

【05】桂功氏(デンソー)

【04】杉浦悦夫氏(アイシン精機)

【03】都築數樹氏(アイシン精機)

【02】塚本高敏氏(アイシン精機)

【01】大橋正明氏(アイシン精機)