JAPIA ものづくり紀行

【第18回】稲吉喜一郎氏(旋盤工・ジェイテクト)

「常に心がけているのは、後工程に迷惑をかけないことです」

 

pht_no18_1.jpg 第18回は、ジェイテクト刈谷工場工務部日程課主担当の稲吉喜一郎(いなよし・きいちろう)さんです。稲吉さんは愛知県出身の1954年1月生まれの58歳で、旋盤加工など機械加工分野の第一人者です。1969年4月豊田工機(現ジェイテクト)技能者養成所に入り、72年4月製造6課に配属され、91年2月専機2課組長、98年2月機械2課係長、2003年2月同2課課長、04年2月改善グループGLGX、06年1月機械3課副課長などを経て、09年1月から現職。この間、1979年普通旋盤1級技能士、職業訓練指導員(機械科)、81年精密器具製作1級技能士、99年特級機械技能士、2000年高度熟練技能士など、各種技能士資格を取得する一方、1980年に愛知県職業能力開発協会会長賞、2008年同県優秀技能者表彰など、数々の栄誉に輝き、11年秋には同年度の金属加工部門で「現代の名工」に認定されています。

■母親の口癖は「手に職がつく仕事に就いたら」

「どんなことでもどうぞ」。どこか、どっしりとした受け応えが印象的な方である。やはり、自らが歩んできた人生に揺るぎない自信があるからか。2011年秋には、旋盤加工分野の用途拡大に向けた長年の地道な努力が認められ、同年度の金属加工部門で「現代の名工」にも 輝いた。が、開口一番、「実は、私の長兄も『現代の名工』なんですよ」。思いもよらぬところから口火が切られ、思わず「え!」と聞き返したら、「長兄は、朝比輝男(前ジェイテクト高等学園副学園長)さんと同じ2009年度の『現代の名工』に建築・とび工部門から選ばれています」と続いた。ものづくり紀行も回を重ねて18回。兄弟で「現代の名工」という方が登場されるのは今回が初めてである。ついでながら、次兄も一級建築士だというから、正真正銘の"ものづくり3兄弟"でもある。

「手に職がつく仕事に就いたら」。母親の口癖だったという。そんな影響もあって、長兄も、次兄も選んだ分野はそれぞれ異なるが、判で押したようにものづくりの世界に進んでいた。自身も、子どもの頃から手先の器用な図画工作が得意の性分だったから、"15の春"には何の迷いもなく、人生の進路に「ものづくりの世界」を、と決めていた。そして、ちょっと俗ぽくいうなら、「お金を頂いて勉強ができることかな」も。翌1970年には「大阪万博」が控える69年4月、豊田工機(現ジェイテクト)技能者養成所に入社した。ものづくり人生のスタートが切られた。

■会社代表で「技能五輪」にも出場

時代は高度経済成長に拍車がかかっていた。「当時、私たちは『金の卵』と呼ばれていましてね」。若者の"売り手市場"が続いていた。同期生は、愛知県を中心に全国から100くらい採用されていた。技能者養成所の3年間の認定職業訓練には、座学の機械工学をはじめ、旋盤など工作機械の実習などが柱に据えられていた。技能者としての土台づくりが始まった。放課後の部活動にはバスケットボールを選び、「横道に外れるような時間的余裕なんてなかったですね」。ともかく、訓練生時代は認定職業訓練に、部活動にと、忙しい毎日だったという。

「先生は熱血漢の方が多かったですよ。解からないところを聞けば、解かるまで熱心に教えてくれました。振り返ってみると、頭が下がりますね」。自らも積極的に学んだ。例えば、「旋盤実習」の時間。先生の指示は「(先生の)手の動きを見ろ」。が、大半の訓練生が視線を注いだのは「鉄が鉄を削る」一点に集中していたという。やはり、鉄が削られる珍しい光景に目を奪われ、先生の指示もどこかに吹き飛んでしまったのかもしれない。

そんな中、指示通り先生の手の動きにじっと視線を凝らす一人の訓練生。「実習が終わってから、先生が誉めてくれましてね。嬉しかったです。今でも忘れませんね」。この頃から後に「現代の名工」に輝く"片鱗"を見せていたかも。次第に一目置かれる存在へと頭角を現していく。そして、卒業時には「成績優秀」で、社長表彰を受賞。その上に、19歳から2年間、会社代表で「技能五輪旋盤加工部門」に出場するキップも手にする栄誉も加わった。

■切削音の微妙な変化に「耳を澄ませて」
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「なんとかならんかな……」。2003年の機械2課長時代に持ちかけられた「内径大型リード溝加工の実現」(別図)だ。具体的には、研削盤の新型砥石台送り装置部品「大型大形メネジ」(径108mmピッチ40mm山深さ18mm)加工である。刃具に切削抵抗が大きくかかり、最大のネックに切削が上がる難問の一つ。当時の現有設備では不可能とされていた旋盤加工だった。それをどう実現するか。これまでに培ってきた自身の旋盤加工の技量も試されていた。  

「ヘビがカエルを呑込むと、どうなります。お腹が自然と膨らんできますよね。歪みのない加工精度が求められるシャフトなどの長尺物の加工には常に、そんな難問が待ち構えています。だから、そうならないようにどうすれば良いか、いろんな工夫が求められます」。で、あらゆることを想定しながら、旋盤加工での実現策を模索した。あれやこれや思案を重ねた。そんな中からひらめいてきたのは、切削音の微妙な変化から最適な刃具の形状を探し出したら、どうかというヒントだった。

■時には「天秤棒」原理の応用も
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「旋盤工に限らず、およそモノを作る人間の腕を磨くとか、腕前とかの言葉には手先の器用さのほかに、耳や眼や鼻などの五官が重要なものとして含まれる」(「鉄を削る町工場の技術」=小関智弘著)。そこで、刃具の傾きを少しずつ変えながら刃具抵抗の最も小さくなる切削音の変化を聞き分ける作業に取り組んだ。何度も「耳を澄ませながら」切削音の変化を聞き分ける作業を繰り返した。その上で、集められたデータを元に形状が決められ、設計変更の上で自らが刃具を製作したという念の入れようだ。

併せて、刃具を支えるホルダーにも着目した。ホルダーにいわゆる"たわみ"を持たせる狙いから、真円形状から楕円形状に変えることを試みた。刃具にかかる切削抵抗の軽減に?がり、「大型大形メネジ」の旋盤加工の成功へと結び付いた。その着想の原点は、両端に荷をかけて担いで使う古民具の「天秤棒(てんびんぼう)」の原理だったというから、何とも懐かしさが伴うユニークさがある。その後、この新工法は切削条件、加工方法の標準化などが図られ、現在も旋盤加工分野で幅広く利用されている。

■精度確保に"熟練の技"も駆使

続いて、要求精度の確保を目的に旋盤加工に切り替えた2事例も。まさに、機械加工に精通した人ならでは、の真骨頂でもあろう。その1の「小径ドリル軸受け内径加工」。従来から研削盤の砥石加工が大半を占めていた。しかし、実際には発生する加工熱が原因で、精度確保が容易ではなかったという。そこで、発生する加工熱の少ない旋盤加工に切り替えてはどうかと考え、刃具のすくい角と逃げ角に熱の発生が少ないバランスを探り当てて、要求精度の確保に成功した。つまり、熱の発生が原因で品質変化が大きい研削砥石加工の「こすりとる」から、変化の少ない旋盤加工の「チップ切削」に切り替えることで、熱による品質変化を抑制したのがポイントだ。それが高精度加工を成功させた大きな原動力だ。

その2の研削盤心臓部品の「砥石軸受けメタル加工」。同加工は、1.5ミクロンという厳しい加工精度が要求され、温度管理(20゜C±2゜C)された恒温室で行われていた。ところが、現実には切削温度の対応が容易ではなく、要求精度の達成が困難だった。そこで、砥石による研削加工から切削温度上昇の少ないチップ切削加工へと変更。また、クーラントの加工熱による温度変化対策としてクーラーも設置。温度センサーを活用して最適温度を管理した。その上で、チップのすくい角度と逃げ角度の温度変化が少ない角度を見つけ出し、要求精度の真円度1.5ミクロン加工を実現させたという。

■様々な経験が技能磨きの"促進剤"に
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「入社以来、小さい物から大きな物までいろんな分野の機械加工を経験させて頂きました。それが結果的に技能を磨く上で大いに役に立っています」。自身を冷静に振り返ってみせる。その中には、愛知県大会の「技能五輪旋盤加工部門」に出場した貴重な経験も含まれる。そんな様々な経験に刺激され、技能磨きにも一段と拍車がかかった。1979年の1級普通旋盤作業を手始めに、81年には1級精密器具作業の技能士資格を取得するなどして、複合技能士に。さらに、99年に特級機械技能士を取得、翌2000年には高度熟練技能者にも認定され、名実とも機械加工分野の第一人者としての地歩を不動にした。

その一方で、数値制御(NC)機械時代を睨み、スキルアップ研修にも積極的に参加するなど、

時代の要請に対応する柔軟さも兼ね備える。1999年には、全社的な「設備を変える」「人を変える」をテーマに基づき機械加工を集約させる複合加工にも挑戦した。その内容は①立て型溝切り盤のキー溝加工などのノウハウをNC旋盤の機能に織り込み、複合加工の実現②平面研削盤加工からマシニングセンター高精度加工の実現――などである。

■後進の育成にも手腕を発揮

ものづくり人生も今年で43年目。「常に心がけているのは、後工程に迷惑をかけないようものづくりに取り組んでいることです」。自らに課している座右の銘でもある。そして、本業の傍ら、会社の後輩はもとより、愛知県内の工業高校生、取引先企業など、後進の育成にも力を注ぐ。中でも、技能士育成の貢献は"大"だ。1979年4月に職業訓練指導員資格を取得以来、職場の技能指導にも工夫を凝らして取り組んだ。95年、2000年には、教え子が技能グランプリの旋盤職種で「労働大臣賞」をそれぞれ受賞するなど、輝かしい成果も。これまでに特級技能士11人、1級技能士55人を育成するなど、その指導力には定評がある。

4兄姉の末っ子だという。「かの夏の兄が匂わすセメダイン」(的野雄)。遠い日の夏休みには、ものづくり3兄弟のこんな絵柄も描かれていたかもしれない。ミシンが上手だったという母親が、それをどんな風に眺めていただろうか。ふと、そんな連想も浮かんだりしてきて……。

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『ものづくり紀行』口上

自動車部品産業は「ものを作る人々」によって成り立っています。国が認定した「現代の名工」をはじめ、技能オリンピックのメダリストも多数おられます。
そういう方々を訪ねて自動車部品という領域で「ものを作る人々」が持つ思いや、部品企業ならではの楽しさを知っていただく試みとして、不定期連載の形でインタビューをお届けします。
さすがに「京浜間」の物作る人々を活写したエッセイ集などを多数上梓しておられる小関智弘さんのようには参りませんが、なにとぞご一読のほど願い上げます。

 

INDEX

【31】桂山光弘氏 (アイシンAW)

【30】太田雅也氏 (東海理化)

【29】佐藤輝夫氏(アスモ)

【28】匠道場「入江塾」(京浜精密)

【27】沖光和義氏(小島プレス工業)

【26】横堀吉晴氏(ミツバ)

【25】小室和春氏(日立AS)

【24】高橋信雄氏(アルプス電気)

【23】高橋伸尚氏(市光工業)

【22】小岡芳美氏(トヨタ紡織)

【21】田中幸孝氏(東海理化)

【20】ブレーキ博物館

【19】ジヤトコヘリテージコーナー

【18】稲吉喜一郎氏(ジェイテクト)

【17】倭将人氏(小島プレス工業)

【16】池田重晴氏(AISIN AW)

【15】日ピスものづくり学校

【14】杉山良晴氏(日立AS)

【13】朝比輝男氏(ジェイテクト)

【12】三輪修氏(デンソー)

【11】安部良夫氏(デンソー)

【10】水野幸夫氏(豊田自動織機)

【09】中村誠次氏(豊田自動織機)

【08】秋山康夫氏(GKN)

【07】緒方栄一氏(プレス工業)

【06】佐藤賢修氏(デンソー)

【05】桂功氏(デンソー)

【04】杉浦悦夫氏(アイシン精機)

【03】都築數樹氏(アイシン精機)

【02】塚本高敏氏(アイシン精機)

【01】大橋正明氏(アイシン精機)