JAPIA ものづくり紀行

【第22回】小岡芳美氏(金属手仕上げ工・トヨタ紡織)

「多分、生まれ変わっても、ものづくりですね」

 

pht_no22_1.jpg 第22回は、トヨタ紡織生産管理部保全力向上推進グループ主担当員の小岡芳美(こおか・よしみ)さんです。小岡さんは徳島県出身の1955年1月生まれの58歳で、同社の金属手仕上げなど金型保全分野の第一人者です。73年4月豊田紡織(現トヨタ紡織)に入社、大口南、岐阜の両工場で自動車用シートファブリックの生産工程を担当、85年刈谷工場でデンソーから生産移管した自動車用エアクリーナーの金型保全を担当、96年岐阜工場成形ライン係長、2002年刈谷製造部刈谷設備室室長、11年6月刈谷製造管理部刈谷安全環境室室長などを経て、12年1月から現職です。この間、91年10月技能検定「金型保全1級技能士」を取得したのをはじめ、05年同年度「高度熟練技能者表彰」、08年同年度「愛知県優秀技能者表彰」など各種の栄誉に輝き、12年11月には同年度の「現代の名工」に認定されています。

■"白羽の矢"が立って金型の世界に
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「新しいプロジェクトの金型を担当してくれないか」「え!素材が鉄の金型ですか。私には180度も違う異次元の世界です」――。入社13年目の1985年、デンソーから生産移管したエンジン部品のエアクリーナーの生産を引き継ぎ、自動車用フィルター分野に参入する新たなプロジェクトが計画されていた。そんな中、会社から小岡芳美さんに冒頭のような打診がなされた。プロジェクトの"要"となるエアクリーナーの金型などを担当する要員に、と"白羽の矢"が立ったのだ。それから28年。プロジェクトはその後、事業化され、経営戦略の上でも主要な事業の1つにも成長した。この間、「現代の名工」をはじめ、ものづくりの世界で数々の栄誉に輝いた。「多分、生まれ変わっても、ものづくりですね」。様々なことを克服してきた自信からか、「今度はもっと早くからものづくりを始めていたい。また違った人生を歩んでいるかもしれません」。どこからか、"ものづくり賛歌"が聞こえてきそうである。


■「編み物の先生の母の影響かな」

本題に入るやいなや、「徳島の池田高校をご存知ですか」。思わず「え!」と、意表を突かれてしまった。ちょっとひょうきんな気質もある方かもしれない。徳島県の池田高校といえば、1974年春の甲子園で準優勝、82年夏には全国優勝と、高校野球の世界では一時代を画した有名校の1つである。当時、「さわやかイレブン」「やまびこ打線」とも形容され、全国の高校野球ファンを沸せた。

「その池田高校の隣町に生まれ育ちました」。やはり、池田高校は郷土自慢の1つらしい。ちょっと誇らしげな表情も。「といっても、池田高校の周辺は山間地域でしてね。父は林業です。ものづくりとは、あまり縁のなさそうな土地柄でした。私も子どもの頃はものづくりにはさほど関心がなかったですね」。それがどうして、ものづくりの世界に?「強いて上げるなら、母が編み物の先生をしていたことくらいかな……」。

1970年3月、地元の中学校を卒業後、同年4月に大阪繊維工業高校に進学した。同校は日本紡績協会が主宰する高校で、教育方針には繊維工業の学識を修得することを中心に据えていた。このため、卒業後、繊維会社に就職することが義務づけられていたという。繊維産業は戦後経済を支えてきた主要産業の1つで、当時はまだ全盛を誇っていた時代だ。また、外貨獲得の稼ぎ頭として"ドル箱"産業とも呼ばれていた。

■先生の勧めで「豊田紡織(現トヨタ紡織)」へ
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「確か、高校2年の前半の頃だったと思いますね。先生から愛知県の豊田紡織(現トヨタ紡織)に就職しないかと勧められました。で、先生が勧めてくれるなら、と思って、就職試験に臨みました。同期生のほとんどは、紡績や化学繊維メーカーなどに就職していましたね」。73年3月、大阪繊維工業高校卒業後、同年4月に豊田紡織(現トヨタ紡織)に正式に入社、ものづくり人生の"切符"を手にした。

まず、配属されたのは、自動車用シートファブリックづくりの生産工程。自動車用シートファブリックは、ポリエステルやレーヨン、フィラメントなど極細(ごくぼそ)の化学繊維を素材に経(たて)編み機でカーテン生地のように編み上げながら製品化された。「極めて細かな作業が要求されました。このため、常に神経を遣って仕事をしていたことを思い出します。表皮は、些細なことですぐざらついたりして、不具合が発生しますから」。以来、12年間に亘り、自動車用シートのファブリック(表皮)づくりをはじめ、自動車関係の繊維製品づくりに取り組んできた。


■金型がプロジェクトの"成否"を握っていた

「結婚して長男が生まれた頃です。まだ岐阜に住んでいました。会社から『新しいプロジェクトの金型保全を担当してくれないか』と打診されました。でも、素材がソフトな繊維から硬い鉄の金型分野です。私には全くの異次元の世界に思えました。しかも、単なる繊維の一作業者に過ぎない私なのにと思って、はたと、考え込んでしまっていました」。しかも、新規プロジェクトの立ち上げでは、エアクリーナーの金型担当が極めて重要な役割を担っていた。ある面では、プロジェクトの成否のカギをも握っていたからだ。

担当要員は2人。もう一人は若干、年上の先輩だったという。正直、自信がなかったという。あれやこれやと思い悩んだ。結局、「引き受けるしかないだろう」と決断、エアクリーナーの金型保全担当要員としてプロジェクトに加わることにした。1985年、入社13年目の"決断"だった。この2人に自動車用フィルター分野の新規事業の将来が託されたともいえそうだ。

■「新入社員時代に戻って」と気持ちを切り替えて
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その手始めは愛知県安城市のデンソー高棚製作所に派遣され、半年間に亘って集中的に金型の基礎から集中的に学んだ。時代は"産業の米"といわれた半導体があらゆる産業分野に活用され、技術革新が急ピッチに進展していた。次々と最先端技術が導入され、工場のロボット化も飛躍的に拡大した。「これまで担当してきた自動車用シートファブリックなど繊維分野でも、最新鋭の設備を駆使して製品づくりに取り組んでいました。ところが、デンソー高棚製作所に通っていくうちに、それをはるかに上回るレベルで設備を含めて技術革新が進んでいました。これには、かなりの"カルチャーショック"を受けましたね。金型の分野でも最新鋭設備を駆使しながら作業が進められていて、『ついていけるかな』と圧倒されました。自信も失いかけましたね」。

そこで、再度、自身の気持ちを仕切り直した。改めて「新入社員時代の気持ちに戻って」と切り替えた。金型の基礎から構造、そして保全、さらには作業の進め方など、幅広い観点から学び直した。そんな真摯(しんし)な姿勢がデンソー社員らにも好感され、「金型の初歩から対応策や解決策などを懇切丁寧に教えて頂きましたね。それは金型分野にとどまらず、ものづくり全般にも応用できる貴重な経験でした」。それが企業の枠を超えた人間的な交流までに深まっていく。ものづくりを通して培った"財産"の1つにもなっているとも。

半年後、デンソーでの実践的な研修を終えて、同社の刈谷工場に戻った。自動車用フィルター分野に参入する新規プロジェクトがいよいよ本格的に動き出した。エアクリーナーの成形品づくりや金型保全などの新たな業務が待っていた。主に担当したのは、プラスチックの樹脂成形だ。「プレス加工の本」(山口文雄)によれば、金型は「上型と下型と呼び、大きな二つのブロックに分かれます。上型はプレス機械のスライド部分に取りつけられ、往復上下運動をします。下型はプレス機械のボルスタ(プレス機械の金型を取りつける定盤部)部分に取りつけられ、固定された形となります。プレス加工は工具(パンチ、ダイ)形状の材料への転写です。従ってパンチ、ダイの関係が正しく作られ、保たれていることが必要です」。


■比重が増す金型保全分野
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金型製作は現在、ワイヤーカット放電加工機・マシ二ングセンターが主流だが、1950年代はヤスリなどでの手仕上げで形状を作るのが主体だった。60年代に入ってからは、放電加工機、やや遅れてワイヤーカット放電加工機が開発され、金型製作も徐々に変化してきた。

また、生産も高速化が加速した。小岡さんは「80年代半ばには60秒に1個、さらに30秒に1個といった具合に製品生産の高速化が急ピッチで進んでいます」といい、大量生産時代には欠かせない存在だ。金型分野に「保全」という役割が増しているのも、そんな理由からだ。

「摩耗(まもう)やバリ(ひだ、かえり)など、金型の不具合をどう発見し、どう対処するかが、金型の世界では今日的なテーマにもなっています。だから、不具合を発見したら、その原因をどう見極め、どう修理するかを短時間のうちに求められます。目視で、計測器などでと、あらゆる手段で発見に力を注ぎます。時間は2、3時間のうちです。でなければ、自動車の生産ラインが止まってしまいますからね」ともつけ加えていた。

■上司からあえて「1級技能検定を受けたら」と背中を押されて

「技能検定を受けてみないか」――。上司から勧められたのはプロジェクトが本格化していた6年後の91年3月上旬。すでに30歳を超えていた。「それも1級技能士検定からではどうか。年齢からいって、段階を追ってでは受検しても意味がない。2級技能検定を飛び越えてズバリ1級技能士から受検したらどうかね」。そして「不合格になってもいいじゃないか」と畳みかけた。通常なら、2級技能士から段階を追って受検するのが常識だ。上司は、それをあえて「1級から」と勧めた。

予想以上にプレッシャーがきつかったという。「私にも同僚や後輩もいます。もし、不合格だったらどうしょうか、と考えましたよ。でも、上司から勧められた以上、受検しないわけにもいかなかったですよね」。金型分野の「1級技能士」の実技試験は、4カ月後の7月中旬に迫っていた。練習場所に利用したのは、金型研修でお世話になったデンソー高棚製作所に併設されていた「デンソー学園」。

■「なにくそ」の負けん気で難関を一発合格

定時に通常業務を終えると、土曜日も含めて約2カ月間に亘って「デンソー学園」に通った実技検定のヤスリかけの練習に励んだ。幅10ミリの鉄材平面をヤスリで削る技能だ。時には、測定器で計測しながらのヤスリかけも繰り返したという。「でも、デンソーの技能オリンピックで活躍した指導者らは、まるで機械で削ったようなきれいなヤスリかけの鉄の粉を出していました。見事なヤスリかけでしたね」。

「自分にも同じようにできるのかな」――。不安を抱えながらの練習が続いた。「ちょうど、梅雨から夏にかけての時期でした。自分でもびっくりするほど、汗がしたたり落ちるのを忘れてヤスリかけの練習に専念したのを思い出します。やはり、30過ぎても『なにくそ』という"負けん気"に火が点いていたのかもしれませんね。不合格になったからといって、実家に帰るわけにもいかなし……。性格的には、引っ込み思案の方なのですがね」。

そして、9月には学科の試験。「磨きをかけた技能を理論的に裏づけてくれるのが学科です。その試験に備えて参考書などを揃えたものです。その時もいろいろ先輩らに教えて頂き、試験に備えましたね」。実技も、そして学科も、難関を突破、見事「1級技能士検定」に合格した。その頃の合格率は25%だったという。「振り返ってみると、ものづくりを通して会社をはじめ、いろんな人に巡り合うことができました。改めて、ものづくりを人生の仕事に選んで良かったと思っています」。心底から満足げな表情が広がっていた。

業務の傍ら、会社や取引先の次世代のものづくりを担う後輩らの育成にも力を注ぐ毎日だ。「会社を含めて若い技能者らには、とくに『技能検定』を受けた方がいいですよ、と勧めています。技能を磨く上でも、理論的にものづくりを理解する上でも『技能検定』は格好の教材です。私も技能検定の受検などを通してものづくりの醍醐味などを知りましたから」。どこか、青年のような熱さも伝わってこようか。「一生の楽しきころのソーダ水」。逓信次官も務めた愛知県出身の俳人、富安風生の句である。今も、そんな句境のようなものづくり人生が続いている。

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『ものづくり紀行』口上

自動車部品産業は「ものを作る人々」によって成り立っています。国が認定した「現代の名工」をはじめ、技能オリンピックのメダリストも多数おられます。
そういう方々を訪ねて自動車部品という領域で「ものを作る人々」が持つ思いや、部品企業ならではの楽しさを知っていただく試みとして、不定期連載の形でインタビューをお届けします。
さすがに「京浜間」の物作る人々を活写したエッセイ集などを多数上梓しておられる小関智弘さんのようには参りませんが、なにとぞご一読のほど願い上げます。

 

INDEX

【31】桂山光弘氏 (アイシンAW)

【30】太田雅也氏 (東海理化)

【29】佐藤輝夫氏(アスモ)

【28】匠道場「入江塾」(京浜精密)

【27】沖光和義氏(小島プレス工業)

【26】横堀吉晴氏(ミツバ)

【25】小室和春氏(日立AS)

【24】高橋信雄氏(アルプス電気)

【23】高橋伸尚氏(市光工業)

【22】小岡芳美氏(トヨタ紡織)

【21】田中幸孝氏(東海理化)

【20】ブレーキ博物館

【19】ジヤトコヘリテージコーナー

【18】稲吉喜一郎氏(ジェイテクト)

【17】倭将人氏(小島プレス工業)

【16】池田重晴氏(AISIN AW)

【15】日ピスものづくり学校

【14】杉山良晴氏(日立AS)

【13】朝比輝男氏(ジェイテクト)

【12】三輪修氏(デンソー)

【11】安部良夫氏(デンソー)

【10】水野幸夫氏(豊田自動織機)

【09】中村誠次氏(豊田自動織機)

【08】秋山康夫氏(GKN)

【07】緒方栄一氏(プレス工業)

【06】佐藤賢修氏(デンソー)

【05】桂功氏(デンソー)

【04】杉浦悦夫氏(アイシン精機)

【03】都築數樹氏(アイシン精機)

【02】塚本高敏氏(アイシン精機)

【01】大橋正明氏(アイシン精機)