JAPIA ものづくり紀行

【第25回】小室和春氏
(精密器具製作工・日立オートモティブシステムズ)

「1人でも多く技能五輪選手を育てます。それが技能の向上に繋がるからです」

pht_no25_1.jpg第25回は、日立オートモティブシステムズ業務管理本部PT事総務部勤労グループ技能教育主任兼技能五輪事務局の小室和春(こむろ・かずはる)さんです。小室さんは茨城県出身の1957年5月生まれの56歳で、精密器具製作を中心に幅広い技能の持ち主です。1973年4月日立製作所(現日立オートモティブシステムズ)佐和工場入社と同時に佐和高等職業訓練校入校、76年3月同校卒業、同佐和工場エンジン機器製造部試作課試作係兼技能五輪選手訓練、78年同試作課(試作係)に復帰、86年2月同工場総務部勤労課技能五輪指導員、2008年6月同社業務管理本部PT事総務部勤労Gr上級監督職(技能教育主任)などを経て、13年11月から現職です。また、1983年4月職業訓練指導員免許(機械科)、同年10月1級精密器具製作技能士、1級普通フライス盤技能士、84年10月1級普通旋盤技能士、2012年10月1級機械検査技能士など各種技能資格を取得し、13年11月には同社茨城県内事業所では初の「現代の名工」に認定されています。

 
■技能の習得には“反復訓練”が必要
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技能五輪や試作品づくりなどで学んだ技能をどう後進に伝承するか。ものづくりを支える技能教育に取り組んで28年。技能五輪選手の育成はもちろん、技能五輪全国大会の「精密機器組立職種」の競技課題を各種考案するなど、ものづくりの世界に実績を積み重ね、今や、技能教育分野では屈指の指導者として知られる。その基本には「まず、やってみせて、教えます」を据え、「やはり、技能の習得には反復訓練が欠かせません」と“反復訓練”の効用を説くのを忘れない。その上で「これからも1人でも多くの技能五輪選手を育成したいですね。それが技能の向上に繋がるからです」。念頭には常に、「技能の向上」の1点しかなさそうだ。

 「勉強ができて、お金も貰える」。自身のものづくり人生の“扉”を開いたフレーズだ。光触媒の第一人者で、東京理科大学長の藤嶋昭さん編著の2011年4月発行「時代を変えた科学者の名言」(東京書籍)流になぞるなら、小室和春さんにとってはさしずめ、「人生を変えた名言」になるかもしれない。

加えて、第4回「ものづくり紀行」に登場したアイシン精機の杉浦悦夫さんも「給料が頂けて、工業高校程度の学科勉強もできます」と同じような趣旨の発言をされていて、どこか、“昭和”の懐かしい時代が蘇ってきそうな「勉強ができて、お金も貰える」のフレーズだ。それも、41年前の1973年4月のことというから、前年の72年6月に田中角栄首相の発表した「日本列島改造論」が、翌73年には“列島改造ブーム”へと発展、同年2月には日本など先進各国が変動為替相場制に踏み切るなど、国際金融秩序は大変動の時代を迎えていた時期とも重なる。そして、10月には日本経済もあの第1次石油ショックに見舞われることに。

■ものづくりとは別の世界に進もうかと考えたが……
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ちょうどその頃、小室さんは人生の進路を決める節目の“15の春”を迎えた。父親は建築関係の仕事に従事していた。「今、振り返ってみると、父は私にそれを継がせるつもりじゃなかったのかな。そう思えてなりませんね。でも、父親は私が二十歳の時に他界してしまって……。結局、その真意は聞けなかったですね」。また、少年時代特有の親への反発もあってか、「ものづくりとは全く違う世界に進もうかと考えていました」。それが突然、ものづくり人生へと急展開していくのだから、人生の何とも不思議な一面かもしれない。

 「73年採用の入社試験で一番早かったのは日立製作所(現日立オートモティブシステムズ)でした。後から聞いたことですが、それはたまたまだったそうですね。もちろん、学校から『受けないか』と勧められました。でも、考えていた進路先とは違っていましたので、どうしょうかと迷いましたね」。はたと、考え込んだ。どうしようかとも逡巡した。それなら、と同社の入社案内に目を通してみた。読み進めると、文中の「勉強ができて、お金も貰える」の件(くだり)のフレーズの前で一瞬、目が止まった。

■背中を押した「勉強ができて、お金が貰える」

「私にはとても魅力的なフレーズでした。心にビシッと飛び込んできましたからね」。ものづくり人生へと背中をドンと強く押され、「じゃ、受けてみるか」。“15の春”の決断は素早かった。もちろん、入社試験にも合格。あっという間にものづくり人生の切符を手にした。「不思議なものですね。入社試験に合格したら、第1の進路先に考えていたところはすっかり頭の中から消えてしまっていましたからね」。

73年4月、同社佐和工場の入社と同時に佐和高等職業訓練校に入校。教育訓練期間は3年。ものづくりの人生のスタートを切った。まずは、プレス金型分野の1つ「金型仕上げ」の実習からだ。ものづくりの基本的な知識や技能などを学んだ。「父から厳しく育てられてきたせいか、これまでに1度も仕事を辞めたいなどと思ったことはありませんよ」。やはり、親の教えを守り抜こうとする芯の強さがあったのか。また、多少のことでは弱音を吐かない気質も兼ね備えていたのかも知れない。やはり、ものづくり大好き人間の1人だ。

■持ち前の“向上心”に火が点いて
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自動車や携帯電話などに使う小さくて細かい部品を作るために、必要なさまざまな形が彫られたプレス金型の製造工程の最終段階が「金型仕上げ」だ。1枚の薄い鉄板を立体なものに形づくる技能が求められる。まず、ボール盤(ドリルを用いて穴を開ける工作機械の1つ)で薄い鉄板に中程度の加工を施し、汎用計測器を手にヤスリがけの仕上げ加工へと進み、組み立て調整作業などを経て、「金型」が製作される。

そこでは、機械加工ではできない高精度加工が要求され、指先の微妙な感覚を研ぎ澄ませた調整技能が成否のカギを握っていた。「現在でも、手加工はかなりの比重を占めています。とくに、ヤスリがけ作業は欠かせない技能の1つです。それはミクロン単位の加工が求められるからです。そのためにも、反復訓練を通して技能を習得しなければならないのです」。技能の習得には、近道はなさそうだ。課題を1つ1つ克服しながらステップアップしていく地道な努力の積み重ねこそが必要だったという。

そんな経験の中からものづくりの面白さや楽しさなどの醍醐味を体得していく。自身の“向上心”にも、火が点いた。技能磨きに一段と拍車がかかった。取り組む対象も、ヤスリ仕上げに加え、「精密機器組立製作」分野にも広がり、「ボール盤以外の工作機械も使ってみたくなりましてね」。例えば、旋盤、フライス盤などである。その意欲が次第に高じて、ついには自ら上司に「技能五輪の精密機器組立製作をやらせて下さい」と直訴するまでに。その思い詰め方は半端じゃなかった。

その「精密機器組立製作」は旋盤をはじめ、フライス盤、平面研削盤など各種工作機械や各種手工具を使って部品の所定加工、組み立て、調整作業などを進めながら、要求される機能を満たす製品を製作する分野で、各種工作機械の操作に加え、手加工を含めた幅広い技能が必要とされた。

■意欲的な姿勢が評価され、技能五輪育成選手に

入社3年目75年には、ものづくりへの真摯(しんし)な姿勢や幅広い技能の習得などが認められ、技能五輪育成選手に白羽の矢が立った。同年秋の技能五輪茨城県大会「精密機器組立製作」職種競技に初出場した。成績は県大会を制しての優秀賞だ。「茨城県は日立製作所の工場や系列企業が多いところです。その県大会を制して優秀賞を頂いた時は、本当に嬉しかったです。ものづくり人生を歩んでいく上でも大きな励みにもなりました」。76年3月には3年間の教育訓練課程を終え、佐和高等職業訓練学校を卒業した。配属されたのは同工場エンジン機器製造部試作課試作係だが、技能五輪育成選手も引き続き兼務したという。

「試作品づくりは幅広い技能を習得する上で、とても良い経験でした。何しろ、毎日が未知のものづくりへの挑戦です。しかも、さまざまな技能が求められ、試作品はいずれも未公開のものばかりでしたからね。3年間の教育訓練生時代に学んだ精密機器組立製作などの知識や技能が大いに役に立ちました」。そして、76年秋の技能五輪茨城県大会「精密機器組立職種」競技に備えた技能磨きにも、一段と拍車がかかった。結局、76年も2大会連続で同県大会に出場、75年と同様に県大会を制したが、全国大会では入賞を逃したという。

■そして、今度は技能五輪指導員として手腕を発揮
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78年3月、試作係に復帰。再び、試作品づくりに励んだ。そして、8年後の86年2月には同工場総務部勤労課に異動。技能五輪指導員に着任、技能教育人生の第1歩を踏み出した。以来、技能五輪選手の育成を柱に据えた技能教育と取り組んで28年。その前段として、83年4月の職業訓練指導員免許(機械科)をはじめ、同年10月1級精密器具製作技能士、同1級フライス盤技能士、84年10月1級普通旋盤技能士など、各種免許や技能士資格を次々と取得するなど、地道な努力を積み重ねていたことも見逃がせない1つだ。

その一方で、技能五輪全国大会「精密機器組立職種」の競技課題の考案にも積極的に関わり、ものづくりの世界の技能レベルの向上にも貢献していく。とくに、XYZの3支点からなる「斜円盤往復運動装置」(写真)の考案は、汎用旋盤、フライス盤、平面研削盤、ヤスリ作業など、総合的な技能を“競う”競技課題として技能教育関係者らの間で極めて評価が高かったという。これまでに、競技課題として採用された考案は6点にも上り、技能五輪全国大会のレベルアップにも力を注いだ。

■息子さんも続き、ものづくり家系が3代に

 時にはこんなことも。「妻から『自分の子どもと会社の生徒とは、どちらが大事なの!』といわれたこともありました。その時は『どっちもだ』と怒鳴ってしまったこともあります。確かに、これまでは随分、家族を犠牲にしてきましたからね」。どうやら、1つのことにのめりこむタイプらしい。やや間を置いて「でも、その息子もものづくりの世界に進んでいます。取り組んでいる分野は私とは違いますが、成長が楽しみですね」。父、自分、息子と、ものづくり家系が3代も続いているという。

「ものづくりも、基本が大切です。だから、基本を曲げることはできません。会社の生徒には常に、(基本を無視した)ダメなことはダメだとはっきり伝えています。技能五輪にしても、そうです。勝つことだけが目的ではありません。技能を磨くことを通して人間も磨いてもらいたいですね。機械がものを作るのではなく、人間がものを作るのです」。技能教育人生に一点の曇りもなさそうだ。どうやら、傍目からは“天職”の域に達しているようにも思える。

そういえば、小室さんの誕生日は5月5日の「子どもの日」。ご両親はそれにちなんで名前を「和春」と命名されたという。その思いは「平和の春」である。「おもしろくふくらむ風や鯉幟(こぼり)」(正岡子規)。技能教育人生も、五月の空に泳ぐ鯉幟のように一段と膨らみを増しそうだ。

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『ものづくり紀行』口上

自動車部品産業は「ものを作る人々」によって成り立っています。国が認定した「現代の名工」をはじめ、技能オリンピックのメダリストも多数おられます。
そういう方々を訪ねて自動車部品という領域で「ものを作る人々」が持つ思いや、部品企業ならではの楽しさを知っていただく試みとして、不定期連載の形でインタビューをお届けします。
さすがに「京浜間」の物作る人々を活写したエッセイ集などを多数上梓しておられる小関智弘さんのようには参りませんが、なにとぞご一読のほど願い上げます。

 

INDEX

【31】桂山光弘氏 (アイシンAW)

【30】太田雅也氏 (東海理化)

【29】佐藤輝夫氏(アスモ)

【28】匠道場「入江塾」(京浜精密)

【27】沖光和義氏(小島プレス工業)

【26】横堀吉晴氏(ミツバ)

【25】小室和春氏(日立AS)

【24】高橋信雄氏(アルプス電気)

【23】高橋伸尚氏(市光工業)

【22】小岡芳美氏(トヨタ紡織)

【21】田中幸孝氏(東海理化)

【20】ブレーキ博物館

【19】ジヤトコヘリテージコーナー

【18】稲吉喜一郎氏(ジェイテクト)

【17】倭将人氏(小島プレス工業)

【16】池田重晴氏(AISIN AW)

【15】日ピスものづくり学校

【14】杉山良晴氏(日立AS)

【13】朝比輝男氏(ジェイテクト)

【12】三輪修氏(デンソー)

【11】安部良夫氏(デンソー)

【10】水野幸夫氏(豊田自動織機)

【09】中村誠次氏(豊田自動織機)

【08】秋山康夫氏(GKN)

【07】緒方栄一氏(プレス工業)

【06】佐藤賢修氏(デンソー)

【05】桂功氏(デンソー)

【04】杉浦悦夫氏(アイシン精機)

【03】都築數樹氏(アイシン精機)

【02】塚本高敏氏(アイシン精機)

【01】大橋正明氏(アイシン精機)