JAPIA ものづくり紀行

【第26回】横堀吉晴氏(金型仕上げ工・ミツバ)

「今では、あの銀メダルは『日本で2番』の誇りです」

pht_no26_1.jpg第26回は、ミツバ新里工場製造技術課設備製作チームの横堀吉晴(よこぼり・よしはる)さんです。横堀さんは群馬県出身の1979年3月生まれの35歳で、プレス金型分野の「抜き型」製作では同社の第一人者です。97年4月入社、同5月から技能五輪育成要員、2003年技能五輪指導員、06年生産技術担当などを経て、12年から現職です。この間、2001年11月の第39回技能五輪全国大会「抜き型職種競技」で銀メダルを獲得、13年6月には群馬県が県内の40歳以下の優秀な若手技能者を表彰する第1回「ぐんま明日の名工」を受賞する一方、1999年金型仕上げ2級技能士をはじめ、2004年同1級技能士、07年機械系保全作業1級技能士、08年電気系保全作業1級技能士など、25の技能資格を取得するなど、同県を代表する若手技能者の1人です。

■銀メダルの“悔しさ”をバネに技能や後進の育成に
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「金メダルを獲るぞ!」――。入社4年目の2001年秋、満を持して“挑んだ”第39回技能五輪全国大会の「抜き型職種競技」。そんな気負いも裏目に出たか、結果は第2位の銀メダル。「悔しくて、悔しくて」の思いが募った。以来13年。その“悔しさ”をバネに、技能磨きや後進の育成に全力で取り組んだ。9年後の2010年秋の第48回技能五輪全国大会には会社の教え子が同じ「抜き型職種競技」に出場、見事、第3位の銅メダルを獲得。その3年後の13年6月には、技能や後進の育成などを通してものづくりの世界に積み重ねた功績が高く評価され、自身も第1回「ぐんま明日の名工」の栄誉に輝いた。「やはり、あの時の悔しさを持ち続けきたからです。でも、今ではあの銀メダルは『日本で2番』の誇りに変わっています」。語る言葉にも、“悔しさ”を克服してきた自信からか、力強さがうかがえる。

古くから生糸や絹織物など、ものづくりが盛んな群馬県。今も、自動車や電機機器など各種産業が幅広く集積し、全国でも屈指の“ものづくり立県”として知られる。2014年6月21日にはユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会が、同県の「富岡製糸場と絹産業遺産群」を世界文化遺産に登録、再び、世界から「ものづくり立県・群馬」に熱い視線が注がれている。そんな土地柄に生まれ育ったせいか、「物心ついた頃からものづくりが好きでしたね」。どこか、ものづくりの“申し子”的な感じがしなくもない。

■中学生時代に早くも、ものづくり人生の青写真を描いて
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「父は商業関係の会社に勤めていました。でも、良く手作りおもちゃを子どもの頃に作ってくれましてね。父も、ものをつくるのが好きだったのかも知れませんね。そんなこともあって、私も物心がついた頃には竹トンボなんかを作って遊んでいましたから。えぇ竹コプターも作りましたよ」。母親も製造業の会社に勤めていて、環境的には、生活の中にものづくりというものがしっかり根づいていたとも。だから、子どもの頃からものづくりの持つ面白さや楽しさなどの魅力も自然に育んでいたという。

「高校は工業高校に進学しなければ」――。中学生時代には早くも、ものづくりを前提に自身の人生設計を考えていた。そこには、ものづくりへの熱い思いが人一倍強かったからだ。もちろん、“15の春”は、そんな人生設計に沿って、地元の工業高校機械科に進学、その布石を打つのを忘れなかった。「そこに全く迷いなんかはなかったですね」。ものづくり人生に向けた歩みを着実に進めていた。

高校時代には自動車エンジンをはじめ、基礎的な機械加工を一通り学んだという。また、学校代表の「ロボット相撲」チームの一員に加わり、ロボットづくりにも取り組むなど、技能も幅広く習得してきた。中でも、今も頭に焼き付いて離れないのが、実習授業で学んだ「ヤスリがけ」作業だ。

■実習のヤスリがけで出てくるのはザラザラしたヤスリ屑ばかりで……

ヤスリがけは「試作品や単品製作の部品では、工作機械で大まかな加工をした後、加工者の『手』によって何らかの加工を行い、最終的な形状・寸法に仕上げていく」(「目で見てわかる手仕上げ作業」=平田宏一)作業の1つで、ヤスリで加工物を少しずつ削って、表面の凸凹をなくしたり、細かな部品形状を仕上げたりすることなどを身につける技能だ。加えて、ヤスリがけは工作物と手の距離が最短で、ものづくりの最も重要な技能を習得する金属加工法ともいわれる。また、「抜き型」や「機械組み立て」の技能などにもヤスリがけの要素が含まれていて、技能関係者らは異口同音に「その技能の持つ幅広さには、計り知れないものがあります」と解説する。

実習授業では、何度も工作物をヤスリで削り、測定器で寸法を測りながら、決められた規格に仕上げる訓練を繰り返したという。しかし、削って出てくるヤスリ屑は「ザラザラしたものばかりでしたね」という。ある面では、ヤスリがけ技能を習得する難しさを物語る1つだ。ものづくりの世界でヤスリがけの名手といわれる技能者の手にかかると、ヤスリ屑も穀類や豆類を碾(ひ)き臼(うす)に回してすり砕いたようなパウダー状のものが出てくるという。「少なくとも、高校時代にはその技能の入り口にすら届いていなかったと思います」と振り返る。

■『技能五輪に出ないか』と“白刃の矢”が立って
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1997年3月、地元の工業高校機械科を卒業。同年4月、ミツバに入社した。同社は群馬県でも有数な企業の1つだが、ものづくり人生の“舞台”に選んだのは子どもの頃からの同社への親しみが最も大きかったという。「実は、実家近くにミツバの工場があって、子どもの頃から親しみというものがありましたね」。そこで、ものづくり人生を歩むなら、同社が「最適では」と考え、同社の門を叩いた。同期入社は40人くらいだったという。

「技能五輪に出ないか」――。1カ月近くの新入社員研修が終わった頃、会社関係者から思わぬ声がかかった。当時、同社は同年秋に同県内で開催される「技能五輪全国大会」を睨んで社員の技能教育強化の一環として技能五輪選手の育成に本格的に取り組み始めていた。技能五輪選手の育成を通じて全社的な技能レベルの底上げを図っていこうというのが狙いだ。このため、同社は97年入社の約40人の新入社員の中から技能五輪選手育成要員3人をリストアップ、そのうちの1人として横堀吉晴さんに“白刃の矢”が立ったのだ。

出場競技に予定されていたのは「抜き型職種競技」。そもそも「抜き型」は薄板を打ち抜くためのプレス金型の一種で、ミクロン単位の高精度なプレス製品の生産には精密で優れた金型が欠かせない。そこで、まず学んだのは金型製作の基本を中心に、その役割や構造などのイロハだ。そして、技能訓練で待っていたのは、高校時代に実習授業で学んだ「ヤスリがけ」作業だ。ヤスリがけ作業の訓練は毎日続いた。「訓練といっても、高校時代の実習授業とは雲泥の差がありましたね。さすがに、プロの世界は厳しかったです。正直にいって、訓練についていけるかなと思ったこともしばしばありましたね」。

■「体重や筋力もつけなければ」と肉体改造を決意

技能は訓練を通して磨かれた。ヤスリがけの加工精度も100分の1、1000分の1と上がっていく。「不思議なもので、訓練も技能が上達してくると、楽しくなってきます」。そんな中、会社の技能指導者から「横堀君、もっと技能を上達させたいなら、体重や筋力をつけなければ」と肉体改造を促された。実際、自身も訓練を続ける中で、「身体が華奢(きゃしゃ)過ぎる」と自覚していた。そこで、体重や筋力をつけなければと自身も考え、肉体改造を決意したという。

同年秋には県大会の「抜き型職種競技」に初出場した。順調に勝ち進んだ。そして、同県で開かれた第36回技能五輪全国大会にも出場した。「しかし、全国大会では問題にならなかったですね。全国のレベルが高くて、成績の方は全くダメでした」と完敗だった。再び、技能訓練に励んだ。加えて、肉体改造にも取り組んだ。体重や筋力も増してきた。「ようやく自分でも技能が身についてきたなと思えるようになってきましてね。技能も形になってきて、自信もついてきました」。

そして、迎えた入社4年目の2001年秋の第39回技能五輪全国大会の「抜き型職種競技」。満を持して出場したという。目標は、ズバリ頂点の「金メダル」。その先には、国際大会出場の切符も待っていた。気合も、自信も十分だった。が、金メダルはするりと手から逃げた。手にしたのは第2位の銀メダルだった。「がっかりしましたね。金メダル以外は考えていませんでしたから、(銀メダルの)喜びなんか全くなかったです」。技能磨きに励んだ日々。また、自身の肉体改造にも取り組んだ。そして、十分過ぎるほどの“金メダル獲り“への手応え。そんなこれまでの数々の光景が走馬灯のように浮かんでいた。

■必要なのは“努力”の二文字

それから13年。そんな悔しさをバネに、技能五輪指導員、生産技術、製造設備担当などの本業の傍ら、技能磨きや後進の育成に全力を注いだ。それを支え続けたのは、技能五輪全国大会の銀メダルで経験した、あの“悔しさ”だった。「ここまで頑張れたのは、あの銀メダルの経験が最も大きかったですね。それがなかったら、ここまでやってこられたかどうか」。時には、一敗地にまみれる経験も人生には必要なのかもしれない。それが転機となって飛躍する可能性もあるからだ。

その上で、ものづくり論を展開する。「ものづくりは永遠に攻略できない世界かもしれませんね。でも、そこに面白さや楽しさがありますよ」。ものづくり人生17年、35歳の一種の“ものづくり考”でもあろうか。下の一覧表は、これまでのものづくり人生の“足跡”の数々だ。技能検定を中心に取得した技能資格数は25を数えるという。そこには毎年、技能資格の獲得目標を掲げ、自らを鼓舞しつつ取得してきた地道な努力の積み重ねがあったからにほかならない。ものづくり人生に必要なのはやはり、地道な“努力”の二文字ともいえそうだ。

技能資格一覧表
1999年 2級金型仕上げ技能士
2000年 同 機械系保全作業
01年 同プラスティック成形用金型制作
同 機械組立仕上げ
02年 同 平面研削盤作業
日本プラントメンテナンス協会自主保全士1級
03年 2級技能士電気系保全作業
同 電気系保全作業
04年 1級技能士金型仕上げ
05年 2級技能士機械検査作業
06年 職業訓練指導員免許(機械)
クレーン運転業務(5トン未満)
2級技能士普通旋盤作業
玉掛け作業主任者
07年 1級技能士機械系保全作業
08年 同 電気系保全作業
09年 2級技能士シーケンス制御作業
この他にボイラー技士2級、危 険物取扱主任者乙種第1、2、3、4、5、6類&丙種、アーク溶接特別教育、ガス溶接作業主任者、情報処理3級、計算技術3級、珠算3級、自動車運転免許中型。
■チームワークの醍醐味も知って……
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目下、全力を注いでいるのは、製造技術分野の生産設備設計、製作、設備改善などだ。技能五輪選手や技能五輪指導員時代などに培った知見や技能などを全面的に活用しながら取り組んでいる。職場には約40人の同僚がいて、「ここではチームワークで仕事に取り組んでいます。技能五輪選手時代には経験することができなかった1つです」。しかも、同僚たちと意見を調整しながら1つの目標に向かって仕事を進めいく醍醐味があるという。「それだけに、仕事をやり終えた後の達成感とか、充実感には何ともいえない喜びがありますね」。

そして、後輩の指導にも腐心する日々だ。「人に教えるのは自分でやるよりも難しいところがあります。ただ、私はメンタル面には重点を置いています。何を考えているのか、どうすればヤル気が生まれるのか、常に注意を払っています。少なくとも、やらされていると思われたら、(後輩の)技能も上達しませんからね」。その一方で、“事なかれ主義”に陥らないよう心がけているとも。中堅社員としての自覚も十分である。 

座右の銘は「有言実行」という。「百日草百日の花怠らず」(遠藤梧逸)。これからも、こんな句境のようなものづくり人生を歩み続けていく。

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『ものづくり紀行』口上

自動車部品産業は「ものを作る人々」によって成り立っています。国が認定した「現代の名工」をはじめ、技能オリンピックのメダリストも多数おられます。
そういう方々を訪ねて自動車部品という領域で「ものを作る人々」が持つ思いや、部品企業ならではの楽しさを知っていただく試みとして、不定期連載の形でインタビューをお届けします。
さすがに「京浜間」の物作る人々を活写したエッセイ集などを多数上梓しておられる小関智弘さんのようには参りませんが、なにとぞご一読のほど願い上げます。

 

INDEX

【31】桂山光弘氏 (アイシンAW)

【30】太田雅也氏 (東海理化)

【29】佐藤輝夫氏(アスモ)

【28】匠道場「入江塾」(京浜精密)

【27】沖光和義氏(小島プレス工業)

【26】横堀吉晴氏(ミツバ)

【25】小室和春氏(日立AS)

【24】高橋信雄氏(アルプス電気)

【23】高橋伸尚氏(市光工業)

【22】小岡芳美氏(トヨタ紡織)

【21】田中幸孝氏(東海理化)

【20】ブレーキ博物館

【19】ジヤトコヘリテージコーナー

【18】稲吉喜一郎氏(ジェイテクト)

【17】倭将人氏(小島プレス工業)

【16】池田重晴氏(AISIN AW)

【15】日ピスものづくり学校

【14】杉山良晴氏(日立AS)

【13】朝比輝男氏(ジェイテクト)

【12】三輪修氏(デンソー)

【11】安部良夫氏(デンソー)

【10】水野幸夫氏(豊田自動織機)

【09】中村誠次氏(豊田自動織機)

【08】秋山康夫氏(GKN)

【07】緒方栄一氏(プレス工業)

【06】佐藤賢修氏(デンソー)

【05】桂功氏(デンソー)

【04】杉浦悦夫氏(アイシン精機)

【03】都築數樹氏(アイシン精機)

【02】塚本高敏氏(アイシン精機)

【01】大橋正明氏(アイシン精機)