JAPIA ものづくり紀行

【第27回】沖光和義氏
(金属加工・金属製品検査工、小島プレス工業)

「ものをつくり続ける以上は後輩に良いことは残したいですね」

pht_no27_1.jpg第27回は、小島プレス工業高岡部品部製造技術課作業長の沖光和義(おきみつ・かずよし)さんです。沖光さんは広島県出身の1959年10月生まれの54歳で、金属加工・金属製品検査分野では同社の第一人者です。75年4月同社に入り、合成樹脂部生産課、89年1月第2製造部生産5課班長、95年1月同製造技術課組長などを経て、2008年1月から現職です。この間、アーク溶接をはじめ、射出成形一級技能士など21の技能検定資格を次々と取得する一方、樹脂金型の立ち上げや金型保全業務などを通して成形不良、金型不具合などの改善活動にも取り組み、同分野に数々の新機軸を打ち立てています。また、国内外の後進の育成にも力を注ぎ、ものづくりの技術や技能の伝承にも尽力されています。2013年11月には、そんな一連の功績が認められ、同年度の「現代の名工」に認定されました。沖光さんは、同社にとって7人目の「現代の名工」です。

■ものづくり人生を飛躍させたのは
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「金型保全に移りたいのですが」。入社4年目の1979年春、上司に願い出たのは金型保全職場への異動だった。入社以来、塗装工程の製品塗装を担当していた。その業務を通じて「どのようにして製品がこの形に作られるのか」に興味を持ち、各生産職場の見学を重ねた。その中の1つの「金型保全」職場に強く惹かれた。工作機械や道具を使っての金型修理、元の形状に戻す緻密な作業、さらには部品製作など、金型保全業務は魅力的だったという。見学を続けるうちに「自分でもやってみたい」の思いが募った。そんな熱意に押されたか、上司は「分かった。ただし条件が1つある。君が後任者を育ててくれれば」と後任者の育成を条件に異動に賛成、1年後の80年春には晴れて金型保全職場に異動した。そして、その道一筋での33年後の2013年秋に見事、「現代の名工」に輝くなど、ものづくり人生は大きく飛躍した。その道筋をつけたのは、冒頭の入社4年目の「金型保全に移りたいのですが」の職場異動の申し入れだったともいえそうだ。

■「技能検定資格」の取得をテコにものづくりを幅広く学ぶ
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念願が適って異動した「金型保全職場」。やはり、その当初から業務に意欲的に取り組んだという。金型に関わる材料、成形、構造などを幅広く学んだ。その1つとして技能検定資格の取得も大いに活用したという。「技能検定資格を取得するためには、基本を含めて幅広くものづくりを学ばなければなりません。その結果、何が原因で金型の不具合が発生するのか、さらにはそれをどのように修理して、改善すれば良いのか、ということを体系的に理解できるようになりました」。ものづくりを幅広いから観点から取り組む習慣を身につけたという。

また、技能検定資格の取得には、実技を含めて反復練習を繰り返すのが効果的だったという。その上で、学科や実技試験の前日には、頭の中で何度もシミュレーションを描き、試験を前に緊張する心を和らげ、平常心を養う努力も続けた。それでも「過去に1度だけ実技試験に失敗したことがあります」。その後、それを教訓にして自身になぜ、なぜと何度も問いかけ、修正していく努力を積み重ねた。そして、次回の実技試験には見事、合格。このなぜ、と何度も問いかける姿勢は日常業務の上にも活用されるようになり、副次的な効果も生まれた。そんな努力の積み重ねで、気がつけば技能検定資格を21も取得していたという。

加えて、社内の研修制度「こじまビジネススクール」もフル活用した。同スクールには100項目に上る通信教育講座が用意されていた。毎年のように業務に役立つ講座を受講、ものづくりの技術や技能、学識を幅広く身につける地道な努力も続けた。

金型保全職場に移ってから6年ほど経った1986年頃だったという。製品リブ(樹脂)が欠肉して良品が取れなくなり、連日、不良品の山を作っていた。欠肉発生部がボス(突起)形状を作り、金型内の空気が抜け切らない問題が発生した。このため、樹脂がしっかり流れ切れないことから、良品が取れなくなっていた。そこで、金型内の空気を抜く目的で溝加工を施す改善策を試みた。が、不良品の数は減ったものの、不良品ゼロという根本的な解決策にはならなかったという。

■“軽石”のような新鋼材を改善策に活用
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なかなか根本的な解決策の妙案は浮かばなかった。さすがのものづくり大好き人間も、はたと頭を抱えた。途方に暮れていたところ、職場の上司から「新しい鋼材があるので、試しに使ってみたら」と“新鋼材”の活用を持ちかけられた。新鋼材は、20ミクロンの細かい穴が無数に開いている金属、いわゆる“軽石”のような鋼材で、一般的にはあまり使われていなかった。加えて、加工するには注意点が多く、時間もかかった。しかし、根本的な解決策が見当たらない以上、新鋼材を利用するしか手がなかった。そこで、新鋼材を利用した新部品を製作、取り付けたところ、金型内の空気が抜け切り、樹脂もしっかり流れ出て、不良品ゼロという結果が出た。「現場からは大変喜ばれましてね」。これをきっかけに、改善意欲に“火”が点り、一段と拍車がかかった。

もちろん、金型保全業務にも磨きをかけた。生産の高速化や高精度化が進展する中、金型保全業務の役割は拡大する一方だった。大量生産時代に欠かせない存在が「金型保全」分野とも。不具合の発生部位はどこか、原因は材料の特性か、成形条件かなど、蓄積してきた学識や技術・技能を総動員して短時間のうちに原因究明の上で、改善策を導き出すことが求められた。そして、その1つ1つを実施の上で結果を確認、次の改善策に繋げ、不具合を解決していく。その上で、新設金型の立ち上げに不具合が出ないよう改善策を新たに織り込み、設備停止の未然防止に役立てるなど、その守備範囲も拡大するばかりである。

「安価で良質な製品をお客様が必要な時に提供することこそが、ものをつくる人の考えることだと思っています。金型が起因する不具合で設備を停止しない金型、お客様に喜んで貰える製品を

作れる金型を目指して、改善を新設金型づくりに織り込んでいくことが良品づくりに繋がると思っています。それがひいては、設備停止ゼロのものづくりに繋がります」。

■新設金型の検査表を立案
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続いて、力を入れたのは、新設金型検査表の立案と実施である。新設金型の不具合未然防止をさらに強化拡充する狙いからだ。金型の過去の故障箇所を部位別に洗い出し、1つ1つの原因を追求した上で対策を立案、実施して確認するなど、地道な検証作業を繰り返した。この作業の中から抜本的な改善策を事例作成という形にまとめ、担当課にそれらをフィードバックし、規格化の上で新設金型づくりに展開した。つまり、立ち上がる前の段階で金型の急所を押さえ、不具合箇所の発生を未然に防止する狙いからだ。このため、検査表を作り、実際に金型メーカーに出向き、組み上げ途中の新設金型の分解検査を実施の上で、新設金型の立ち上げ時に不具合が発生しないよう仕上げる活動を進めた。

検査表は金型製作時の金型規格をはじめ、これまでに実施してきた改善で効果が上がった内容などを検査項目に盛り込んで作成した。その中身は、新たに発生した問題で金型を改善した内容や、現状を見直したことなども順次、追加した。改訂はこれまでに8回を数える。

中でも、主眼に置いたのは金型メーカーにその考え方を理解してもらうことだったという。このため、何度も自身の考え方を説明し、理解を得られるよう努めた。とくに、金型検査の目的については「金型故障や品質不具合ゼロの金型を作りたいから」と力説した。ただ、当初は検査に訪問する度に「怖い人がきた」と誤解された。しかし、その都度、金型で発生している不具合やその対策の内容などを丁寧に説明し、理解を求めた。やがて、その真意が理解され、初期の不具合ゼロの金型づくりへと発展していった。

そして、各部位の作動確認をめぐっては、金型検査時に自身の感覚を金型メーカーの担当者らにも身につけるよう教え込む地道な努力を続けた。「私の感覚を教え込むことを通して作動不具合が低減でき、同じ感覚で仕上げることができると思ったからです」。そこには、金型メーカーの担当者らと対等に意見交換できるよう金型製作時の規格や金型検査表の項目などを事前に頭に入れて置く用意周到さも見逃せない1つだ。

■『どんなお仕事をされているのですか』

「現代の名工」に認定されてから1年、「新聞などで知ったのですかね、最近は床屋(理髪店)さんや病院の看護師さんらから『どんなお仕事をされているのですか』と聞かれるようになりましてね」。自身に注がれる地元の注目度の高さに驚きを隠さない。地元愛知県豊田市は自動車産業を中心に製造業の盛んな土地柄として有名だが、それでも同市から毎年、「現代の名工」に認定される技能者は1ケタ台の数人にとどまる。それだけに、その栄誉の重さを実感する日々かもしれない。

「でも、これからもこれまで通りです」。今も、ものづくりに取り組む姿勢は不動だ。それが却ってものづくりへの揺るぎない姿勢を際立たせていようか。「ものづくりを続ける以上は、後輩らに良いことは1つでも多く残したいですね。それが自分の成長にも繋がります」。向上心も健在である。社会人としてスタートした39年前の“15の春”に掲げた「大胆にして細心であれ」の座右の銘が、その原点かもしれない。

座右の銘は、自分の性格を変えることから考えたという。「中学生頃までは人前に立つのが嫌いな消極的な性格でした。そこで、社会人になる以上は積極的に行動ができて、神経も細かいところまで目配りできるような人にならなければと思ったからです」。

■物心ついた頃には「自動車部品を作る会社で働きたい」

ものづくりの世界に進んだのは両親の影響も“大”だったという。「実は、父も母も同じ会社(小島プレス工業)に勤めていました。仕事から帰ってきて、食事を済ませて一家団欒の時間になると、父と母がよく仕事の話をしていました。それを聞くのが子どもながらも好きでした」。どうやら、典型的なものづくり一家の中で育ったようである。

「何しろ、子どもの頃からものを作って遊んでいたから、将来はものを作る仕事に就きたいと考えていました。例えば、大工さんとか、料理人とかです。何かを作って人に喜ばれる仕事にあこがれを持っていました」。父親の仕事の関係で広島、長崎、そして愛知県豊田市へ。豊田市内には自動車部品メーカー各社が数多く集まり、部品各社で生産された部品が1箇所に集められ、組み立てられて自動車が生産されていく。だから、物心ついた頃には「将来は自動車部品を作る会社で働きたい」と考えるようになっていた。

目下、金型保全に加え、力を注いでいるのは後進の育成だ。自身のこれまでに培った技術や技能を教材づくりや指導方法の改善などに活用して後進の育成に力を注いでいる。もちろん、その基本には「自助努力」を据える。「やはり、考える力をつけるよう指導しています。人に頼っては成長しません。技能や技術は自らが苦労して身につけるよう勧めています。そうすれば、達成した時の喜びは大きいし、次の飛躍へのステップにもなります」。その上で、技能検定資格の取得を勧める。ものづくりの技術や技能、さらには学識などを身につけるためにも、技能検定資格取得の効用を説くのを忘れない。

ものづくりは、その時代、その時代の文化を1つの形に表現する人間の営みといわれる。

有史以来、その技術や技能は親から子、先輩から後輩などへと脈々と受け継がれ、進化してきた。沖光和義さんから話を伺っていたら、ふと、そんなことが頭を過ぎった。季節は秋。「狼星(シリウス)をうかがふ菊のあるじかな」。詩人で、童話作家の宮沢賢治が菊花展に添えた珍しい一句として知られる。その伝でいけば、日本のものづくりを担う主(あるじ)らは今も、意気軒昂である。

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『ものづくり紀行』口上

自動車部品産業は「ものを作る人々」によって成り立っています。国が認定した「現代の名工」をはじめ、技能オリンピックのメダリストも多数おられます。
そういう方々を訪ねて自動車部品という領域で「ものを作る人々」が持つ思いや、部品企業ならではの楽しさを知っていただく試みとして、不定期連載の形でインタビューをお届けします。
さすがに「京浜間」の物作る人々を活写したエッセイ集などを多数上梓しておられる小関智弘さんのようには参りませんが、なにとぞご一読のほど願い上げます。

 

INDEX

【31】桂山光弘氏 (アイシンAW)

【30】太田雅也氏 (東海理化)

【29】佐藤輝夫氏(アスモ)

【28】匠道場「入江塾」(京浜精密)

【27】沖光和義氏(小島プレス工業)

【26】横堀吉晴氏(ミツバ)

【25】小室和春氏(日立AS)

【24】高橋信雄氏(アルプス電気)

【23】高橋伸尚氏(市光工業)

【22】小岡芳美氏(トヨタ紡織)

【21】田中幸孝氏(東海理化)

【20】ブレーキ博物館

【19】ジヤトコヘリテージコーナー

【18】稲吉喜一郎氏(ジェイテクト)

【17】倭将人氏(小島プレス工業)

【16】池田重晴氏(AISIN AW)

【15】日ピスものづくり学校

【14】杉山良晴氏(日立AS)

【13】朝比輝男氏(ジェイテクト)

【12】三輪修氏(デンソー)

【11】安部良夫氏(デンソー)

【10】水野幸夫氏(豊田自動織機)

【09】中村誠次氏(豊田自動織機)

【08】秋山康夫氏(GKN)

【07】緒方栄一氏(プレス工業)

【06】佐藤賢修氏(デンソー)

【05】桂功氏(デンソー)

【04】杉浦悦夫氏(アイシン精機)

【03】都築數樹氏(アイシン精機)

【02】塚本高敏氏(アイシン精機)

【01】大橋正明氏(アイシン精機)