JAPIA ものづくり紀行

【第30回】太田雅也氏
(設備開発設計製作工・東海理化)

“パチンコの玉”をヒントにインゴットの自動搬送システムを開発

pht_no30_1.jpg第30回は、東海理化生産技術センター設備工機部部長の太田雅也(おおた・まさや)さんです。太田さんは愛知県出身の1959年10月生まれの56歳で、金属加工や樹脂成形などの分野の加工用装置の開発、設計、製作に関する第一人者です。78年4月同社に入社、1年間の技能訓練を経て、79年4月工機部生産設備開発課に配属され、以来、一貫して加工用装置の開発などに取り組み、鋳造装置の高性能化に成功、その応用技術として樹脂成形の高効率化にも発展させています。2012年1月から現職です。この間、金型仕上げ作業一級技能士をはじめ、コールドチャンバダイカスト作業二級技能士など各種技能検定資格を取得する一方、12年秋に愛知県優秀技能者表彰(あいちの名工)を受賞、14年秋には「現代の名工」にも認定されるなど、数々の栄誉を受賞しています。太田さんは同社にとって5人目の「現代の名工」です。

■「とにかくやってみることです」

クルマ好きが高じて「自動車部品を作ってみよう」と、ものづくりの世界を志したというから、正真正銘のものづくり大好き人間の1人である。それから38年。入社2年目には早くも、重さ10キログラムの角材型インゴット(金属の鋳塊)を約600グラムのボールインゴットに替えることで、 鋳造装置への運搬や投入作業を無人化する「自動供給システム」を開発、ものづくり力の“確かさ”を証明した。以来、小物鋳造機の開発をはじめ、プラグイン・ハイブリット(PHV)車用のバッテリー検査装置「水素リーク検査器」の共同開発など、加工用装置開発分野に各種新機軸を打ち立て、昨年秋には「現代の名工」の栄誉も手にした。そんなものづくりを支えているのが座右の銘の「とにかくやってみることです」。これまでのものづくりの中から育んできた自身のバックボーンの1つでもある。どこか、松下電器産業(現パナソニック)創業者の松下幸之助の「やってみなはれ」の世界にも通じそうな“ものづくり考”にも聞こえてくる。どんなに時代が変わろうとも、ものづくりへの思いは1つかもしれない。

出身は愛知県豊橋市で、全国的には「ちくわ」で有名である。最近は、B級グルメの世界で「豊橋カレーうどん」の人気急上昇中も加わる。古くは製糸や紡績業の盛んな同市。戦前は製糸生産量日本一を誇ったことも。戦後は、東三河工業整備特別地域指定や三河港重要港湾指定などをバネに、臨海工業地帯の整備が進み、造船をはじめ、金属、機械、自動車などの各種産業が進出。今や、同市を中心に広がる三河港は自動車輸出入で金額、台数とも日本一の規模を誇り、ドイツのブレーマーハーフェン港と並んで自動車貿易港として知られる。そんな土地柄に生まれ育った。

■就職先には“自動車部品会社”にと人生設計を描く
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で、さぞや、ものづくり一家に生まれ育った人かと思いきや、意外な答えが返ってきたのにはびっくりしてしまう。「家族は、ほとんどが商業関係の職種に就いていましてね。ものづくりとは全くといっていいほど関係のない家庭でした」。それがどういうわけか、物心ついた頃からものづくりが好きになっていたというから、家族の中ではちょっと異色の存在だったかもしれない。といっても、ものを作るよりも興味はもっぱらものを分解する方に向かっていた。「ものがどんな風に作られているのかに興味が強かったからです。そこで、いつもオモチャなんかは分解しては、壊していましてね」。どうやら、探求心の旺盛な子どもだったらしい。

だから、“15の春”は迷うこともなく、地元の豊橋工業高校機械科に進学、将来のものづくり人生に向かって第1歩を踏み出した。1974年4月のことである。当時、日本は60年代の半ば頃からの高度経済成長に支えられ、本格的なクルマ社会が到来した。しかも、国内需要に米国を中心とした輸出が加わり、自動車産業が日本の基幹産業へと発展していく時代とも重なり、若者の間でクルマが急速に普及していった。そんな時代背景もあって、ものづくり好きからクルマ好きへと対象が絞り込まれ、高校3年生の頃には「自動車部品会社で自動車部品を作りたい」と、人生設計の青写真を描いていた。

その母校の豊橋工業高校である。「今年の春、春夏通じて初めて甲子園に出場しましてね。21世紀枠からです」。どこか、誇らしげである。自身も昨年秋、「現代の名工」の栄誉を手にした。今春は、それを祝福するように甲子園初出場が続いた。卒業から38年目の母校野球部の快挙だ。喜びも倍増するのも無理もない。その野球部は残念ながら1回戦で敗れた。が、甲子園のアルプススタンドをオレンジ色一色に染めた同校応援団の応援ぶりが大きな感動を呼び、応援団賞の「最優秀賞」に輝き、甲子園初出場に花を添えていた。

■手づくりのものづくりを学ぶ

就職先にはすでに、豊川市の音羽工場など地元でも馴染みのある東海理化と定めていた。1977年4月、東海理化に入社し、待っていたのは1年間の技能訓練だった。ものづくり人生がスタートした。「ここでは、徹底的にものづくりの基礎を鍛えられましたね。とくに、手づくりのものづくりをしっかり教えて頂いたと思っています」。中でも、ヤスリがけは最も印象に残っている技能訓練の1つだった。

毎日、ヤスリだけで鉄40mmの角材を1mm削っていく訓練を一年間続けた。最終的には、100分の1mm単位の加工精度に真っ平にすることを課題として求められた。「毎日、自分の手で削っていく訓練を続けるわけですが、自然と我慢強さや忍耐力などが備わっていくのが分かってきましたね。やがて、同期生との間で切嵯琢磨が始まり、良い意味での競争心というのも身についてきましたよ」。加えて、フライス盤や旋盤など各種工作機械の操作なども実地で学んだ。ものづくりのイロハから基礎、実践まで身につけていた。

入社2年目の79年4月、初めてものづくりの生産現場に配属された。職場は工機部生産技術開発課。自動車部品を生産する装置や機械設備などを改良や開発する部門で、幅広いものづくりの知識や技術・技能などが求められた。配属早々に与えられた設備開発は、亜鉛材料からなる重さ10キログラムの角型インゴットを各ダイカストマシンへの運搬や投入を合理化することだった。この作業はかなりの重労働作業であることを、自ら現地現物で実際に行い、<なんとか作業の軽減はできないものか>との思いが膨らんでいくのを覚えた。

■“パチンコの玉”をヒントに構想を具体化
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それを実現させるためには、パチンコ屋のように人に頼らず各パチンコ台へ球を供給するイメージを命題に開発テーマが与えられた。そこで、先輩からのアイデア、アドバイスをもとに重さ10キログラムの角型インゴットを自重で転がるようにボール状に変更する方法。また、この重たい材料で工場内をゴロゴロと転がしていく自動搬送をどう実現していくかなど、数多くの課題が待っていた。

「自動搬送システム」の開発には、重さ10キログラムの角材型インゴットをどのようにしてボール形状にするか、1個当たりの重さをどう設定するかにかかっていた。そして、インゴット製造メーカーがボールインゴットの生産に協力してくれるかもカギを握っていた。このため、ボール形状に製造する装置を自社開発し提供することにした。

まず、取り組んだのはボールインゴットの最適な重さの設定だ。このため、自社のダイガストマシンで生産している製品重量の平均値を参考に約600グラムに設定した。それは製品を1個生産するごとに1個のボールインゴットを溶解炉に投入するといった必要な量だけ供給する考えからだ。

そして、ボールインゴット製造装置の自社開発が始まった。当初はなかなかボール形状にすることができず、試行錯誤が続いた。が、チーム一丸となって製造装置の金型開発、溶融亜鉛の供給装置など、何度も初めての試みを繰り返した。そんな中で、溶融亜鉛を流し込む漏斗(ろうと)開発を行い、実用新案を取得するなど、様々な新要素を織り込んだ

製造装置を開発した。その結果、インゴット製造メーカーに開発した装置を提供することで、インゴット製造に協力してもらうことができ、一気に「自動搬送システム」の開発に拍車がかかった。

具体的には、ダイカストマシンの溶解炉の煙突周りにボールインゴットが自重で転がることのできるレールを配し、排熱で材料(インゴット)を予熱する仕組みを採用することにした。つまり、溶解炉の溶湯が減ると、インゴットが自動投入され、結果的に工場の二酸化炭素(CO₂)の削減をはじめ、省エネに貢献するシステム開発を目指した。同システムの仕組みは①インゴットメーカーから約600グラムのボールインゴットがトラック搬送され、音羽工場の屋外材料タンクに収容される②ボールインゴットは、そこからエレベーターで持ち上げられ、工場内の各鋳造機に自動分配されるというもので、この結果として各溶解炉前までのインゴットの運搬や投入作業は廃止となった。

このボールインゴットの「自動搬送システム」は現在も、改良を加えながら音羽工場で現役稼働している。

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また、小物鋳造機の開発は、ローターケース(筒状の小物鋳造品)専用として歩留まり向上や2次加工廃止を目的に専用鋳造機や金型開発をしたもので、1個取り鋳造の特権で4方向から型締め機構を採用した。この結果、最短ランナーで歩留まりの向上や加工部位を金型成形することで、2次加工を廃止しているのが特徴だ。これにより、従来の工法に比べ2倍以上の歩留まり向上を果たし、廃材の低減にも繋がる効果も発揮した。

PHV(プラグイン・ハイブリット)車用バッテリー検査装置の「水素リーク検査器」は同社関連会社2社と共同開発した。この「水素リーク検査器」は独自の高度な技術が評価され、トヨタ自動車の2010年度「技術開発賞」にも輝いた。

■「一致団結」のチームワークのものづくり推進へ

ものづくりの世界も今や、IoT(モノのインターネット)、BD(ビックデータ)、AI(人工知能)などを背景に、製造プロセスの高度化が大きく進展する可能性が高そうだ。

加えて、様々な技術や技能がセンサーと繋がり、①経営資源の集中投入(自前主義からの脱却)②スピード経営③中長期的視点などが求められ、各工場間の連携も一段と加速することが予想されている。

好きな言葉に「一致団結」をあげ、「どちらかといえば、これからはチームワークのものづくりが必要になってきます」と力説する。そのためにも、これまで以上に技能の伝承を含めた後進の育成に一段と力を注ぐ考えで、「部下や後輩らには、ぜひとも『とにかくやってみることです』の精神を伝えていきたいですね。その分、失敗もあるかもしれませんが、失敗も成功のうちです」。自身のものづくり人生に”一点の曇り”もなさそうである。「時計師に微塵の秋日身のまわり」(桂信子)。ものづくりの現場にもこんな光景が散見される季節でもある。

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『ものづくり紀行』口上

自動車部品産業は「ものを作る人々」によって成り立っています。国が認定した「現代の名工」をはじめ、技能オリンピックのメダリストも多数おられます。
そういう方々を訪ねて自動車部品という領域で「ものを作る人々」が持つ思いや、部品企業ならではの楽しさを知っていただく試みとして、不定期連載の形でインタビューをお届けします。
さすがに「京浜間」の物作る人々を活写したエッセイ集などを多数上梓しておられる小関智弘さんのようには参りませんが、なにとぞご一読のほど願い上げます。

 

INDEX

【31】桂山光弘氏 (アイシン・エィ・ダブリュ)

【30】太田雅也氏 (東海理化)

【29】佐藤輝夫氏(アスモ)

【28】匠道場「入江塾」(京浜精密)

【27】沖光和義氏(小島プレス工業)

【26】横堀吉晴氏(ミツバ)

【25】小室和春氏(日立AS)

【24】高橋信雄氏(アルプス電気)

【23】高橋伸尚氏(市光工業)

【22】小岡芳美氏(トヨタ紡織)

【21】田中幸孝氏(東海理化)

【20】ブレーキ博物館

【19】ジヤトコヘリテージコーナー

【18】稲吉喜一郎氏(ジェイテクト)

【17】倭将人氏(小島プレス工業)

【16】池田重晴氏(AISIN AW)

【15】日ピスものづくり学校

【14】杉山良晴氏(日立AS)

【13】朝比輝男氏(ジェイテクト)

【12】三輪修氏(デンソー)

【11】安部良夫氏(デンソー)

【10】水野幸夫氏(豊田自動織機)

【09】中村誠次氏(豊田自動織機)

【08】秋山康夫氏(GKN)

【07】緒方栄一氏(プレス工業)

【06】佐藤賢修氏(デンソー)

【05】桂功氏(デンソー)

【04】杉浦悦夫氏(アイシン精機)

【03】都築數樹氏(アイシン精機)

【02】塚本高敏氏(アイシン精機)

【01】大橋正明氏(アイシン精機)