JAPIA ものづくり紀行

【第31回】桂山光弘氏
(機械部品組立工・アイシン・エィ・ダブリュ)

基本は「実際の仕事に役立つものづくり」です

pht_no31_1.jpg第31回は、アイシン・エィ・ダブリュ(AW)人材開発本部技能教育センター次長兼アイシン・エィ・ダブリュ(AW)高等技能学園副学園長の桂山光弘(かつらやま・みつひろ)さんです。桂山さんは愛知県出身、1958年5月生まれの57歳で、機械部品組み立て分野では同社の第一人者です。77年4月に入社し、製造部プレス金型保全を担当。80年4月から技能研修センター(現AW高等技能学園)で1年間、心身を鍛え、ものづくりの知識や技能を学んだ後、工機部でオートマチックトランスミッション(AT)の新製品開発において試作品加工を担当。トランスミッションケース加工では治具中ぐり盤を用いて卓越した加工技能を発揮し、要求品質±100分の1ミリを達成させ、2001年度の文部科学大臣賞を受賞しました。また、03年にAW初のダイカスト金型の内製化を実現する一方、技能グランプリや技能五輪選手の育成にも尽力され、全国大会では多くの入賞者を輩出。これらの技能者育成に貢献したことも認められ、14年秋には同年度の「現代の名工」に認定されています。

■ものづくり人材の“裾野拡大”も
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「学園生ら若い人には、早い時期からどんな将来を目指すのかをイメージするよう指導しています。そうすれば、今何をすべきかが見えてくるからです」。その考えの基本には「実際の仕事に役立つものづくり」を据え、部品加工をはじめ、ダイカスト金型の型設計、同組み立て調整など、38年のものづくり人生の中で育んだものがある。最近は後進の育成に加え、中学生や高校生を前に「ものづくりの魅力」をテーマにした講話や技能支援の依頼にも積極的に協力、ものづくり人材の“裾野拡大”にも力を入れる「現代の名工」の1人でもある。

「実は、息子もこの会社でものづくりに取り組んでいましてね。一時期は違う世界に進むのではないかと思いましたが、最終的には息子も同じ世界に進んでくれました」。どことなく誇らしげである。それもそのはずで、父親、自分、息子と3代続くものづくり家族である。しかも、3人とも勤め先が同じ会社のAWというから、ものづくりの世界でもちょっと珍しい家族か。時には、3人で“ものづくり談義”に花を咲かせることもあろうか。

そんな光景も想像できそうな家族である。

それにしても、ことわざの<親の背中を見て子は育つ>を地で行くような世界が広ってくる。「子どもの頃からものづくりに打ちこむ父を見ていて、一種の憧れみたいな思いを持ちましたね」。ものづくりのDNA(遺伝子)がしっかり受け継がれている家系かもしれない。

■技能磨きを飛躍させた1年間の技能研修
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77年4月、桂山さんは父親の勤めるAWに満を持して入社、ものづくり人生のスタートを切った。入社後、配属されたのは製造部プレス金型保全業務の金型部品メンテナンス担当だった。旋盤や研削盤を使ってメンテナンス業務に取り組んだ。それから3年後の1980年春、入社以来の仕事ぶりが会社から認められ、上司から思わぬ声がかかった。

「技能研修センター(現AW高等技能学園)の第2期生のメンバーの1人に選ばれたぞ」――。同センターは1年前の79年4月、ものづくり現場の管理、監督者や高度な技能を継承する人材を育成する目的で設立された組織で、研修期間は1年間。心身を鍛え、ものづくりの知識や技能を磨き、研修修了後は研究開発や工機、保全部門などに配属する現場リーダーを養成する同社の人材育成機関だ。

「心身ともに厳しく鍛えられた1年間の研修でしたね。例えば、真冬でも短パン、Tシャツで毎朝ランニングを行ったり、技能実習の際も厳しく指導されたことを覚えています。しかし、それがその後のものづくり人生に大いに役に立っています」。例えば、ものづくりの発想力、改善力、思考力などが身につき、アイデア力が大きく向上したという。まさに、ものづくり人生を飛躍させる“起爆剤的”な役割を果たしたとも。

そして、子どもの頃から“憧れ”の父親と席を並べることになったのは、1年間の技能研修を終え、81年4月に配属された工機部で、だった。「工機部は希望していた職場でした。でも、父と同じ業務を担当することはなかったです。ただ、父と同じ職場だから“親の七光り”とはいわれたくなかったですね。だから、担当した試作品加工の仕事などはしっかり取り組んだつもりです」。

■治具中ぐり盤用ツールホルダ(工具保持具)の考案

同社は69年の会社設立から十数年経った80年代頃からATの新製品開発が一気に本格化してきたという。「次から次へとATの試作品加工に取り組んだのを覚えています」。

とくに、AT試作品の1号機が多かった。このため、テーブルくらいの大きさの図面を床に広げ、電卓を手に持って計算しながら試作品加工に励んだという。中でも、「アルミ製の胴殻(どんがら)に重要部品の取り付け穴を開ける試作品」は今も、懐かしく蘇ってくる苦心作の1つである。

当時、アルミ製の胴殻に要求品質±100分の1ミリの取り付け穴を開けるには、治具中グリ盤(主軸に取り付けた中ぐりバイト=刃具=を使用し、主軸を繰り出して中ぐり加工を行う機械)を用いてトランスミッションケース加工を行っていた。それには技能者にも高度な加工技能が求められていた。とはいえ、当時はアルミの胴殻に治具中ぐり盤で穴を開けるための、専用工具もなければ中ぐりバイトもなかったという。その上、1回の段取りでは穴を開けきれず、もう1回中ぐりバイトを付け替え、段取りをし直して穴開け加工を行うことが必要だった。そんなこともあって、品質をはじめ、精度などの面で各種の課題を抱えていた。

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そこで、考えたのが治具中ぐり盤用のツールホルダ(工具保持具)の考案だ。桂山さんはひげ剃り刃の2枚刃に着眼し、バイトホルダーを2個付けることで付け替えをなくし、バイトの高さ合わせを1度行えば、アルミ胴殻に要求品質±100分の1ミリの取り付け穴を1回の切削作業で開けるように変更。品質、精度の面で満足できるケース加工に成功した。

その後、この治具中ぐり盤を用いたケース加工は画期的な加工手法を実現したとして、2001年度の文部科学大臣賞を受賞、技能者としての自身の評価を高める1つにもなった。「やはり、ものづくりはあきらめずに最後までやり抜くことが大切です。そんなことを学んだ考案でしたね。ここでも、技能研修センターで1年間学んだことが生きていました」。

■AW初のダイカスト金型の内製化を手がける

これを機に、ものづくりへの意欲的な姿勢が認められたのか、ダイカスト金型の内製化

という同社初のプロジェクトに指名され、社内でも有数な技能者として位置づけられる。87年のプロジェクトが立ち上がり後、まずは金型の構造を理解、習得する必要があったため、金型技術の国内トップレベルのメーカーに1年間派遣された。同社はそれまでメーカーに金型を外注していたが、ATの新製品開発が本格化し、金型設変対応に時間を要したり、外注費用が膨らむばかりだった。そこで、同社はダイカスト金型の内製化を決断、

そのプロジェクトの中心に桂山さんを据えたのだ。

「これまでAW初のプロジェクトを2つほど手がけてきて、これが1つ目のプロジェクトでした。でも、金型の図面を知らなければ、内製化に向けたノウハウなどもありませんでした。だから、実際にメーカーに行き、1年間かけてダイカスト金型を勉強してきました」。金型設計、金型の作り方、金型部品の加工設備発注など、内製化に向けてのイロハからさまざまなことを学んでいった。

さらに、ダイカスト金型の組み立て調整技能を身につける必要から、別の専門メーカーにも派遣され、今度は部下を1人連れて学ぶことになった。その専門メーカーに常駐したのは部下だったが、自身は専門メーカーと会社との間を行き来しながらダイカスト金型の内製化に向けた構想を練り上げていった。こうしてダイカスト金型内製化に向けた一連の技術・技能を学び、同プロジェクトを実現したという。

■技能五輪を通じて若者への技能伝承などに取り組む
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ダイカスト金型の次に取り組んだ2つめのプロジェクトが若者への技能伝承だった。桂山さんは、将来のものづくり技能の低下や、技能伝承し難くなる環境変化を大きな課題と捉え、技能五輪を通じて次世代のものづくりを担う若者に、技能伝承および育成を行うことを決意した。技能五輪選手には幅広い技能が求められ、その中から専門性を深めていく能力も要求されている。「AWのものづくりを伝承する1つの手段としても、技能五輪選手育成が不可欠と判断したわけです」。

同社はそこで「技能五輪選手育成」を念頭に、まずは99年から熟練技能者が“技能の日本一”を競う「技能グランプリ」選手の育成に乗り出した。つまり、技能グランプリで活躍した選手を技能五輪選手の育成コーチに活用しようとの狙いからだ。その旗を振ったのが、桂山さんである。04年から準備に着手、同社は05年の技能五輪に初出場した。旋盤、フライス盤職種からだった。

その結果、第42回大会から同53回大会まで旋盤、フライス盤に加えて、メカトロニクス、抜き型、機械製図の5職種で金賞1個、銀賞3個、銅賞10個、敢闘賞17個を受賞するなど、技能五輪の世界でも着実に躍進を続けている。

「振り返ってみると、ものづくりはやりがいのある仕事ですね。父に憧れてものづくりの世界に進んで本当に良かったと思っています。子どもの頃、父が生き生きと仕事をして

いたのを思い出します」。ものづくりは一種の作家が文字で、画家が絵で、自己表現するのと同じような世界かもしれない。これからも、技能磨きに、後進の育成にと、ものづくりに全力投球の日々が刻まれていくことになろう。「太陽を白き光に花水木(はなみずき)」(吉村ひさ志)。


追伸 「ものづくり紀行」は、今回のアイシン・エィ・ダブリュの桂山光弘さんのリポートで終ります。この間、ご登場願った皆さんをはじめ、会員各社の広報担当者の方々には何かとお世話になりました。ここに、改めて感謝の意を表します。

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『ものづくり紀行』口上

自動車部品産業は「ものを作る人々」によって成り立っています。国が認定した「現代の名工」をはじめ、技能オリンピックのメダリストも多数おられます。
そういう方々を訪ねて自動車部品という領域で「ものを作る人々」が持つ思いや、部品企業ならではの楽しさを知っていただく試みとして、不定期連載の形でインタビューをお届けします。
さすがに「京浜間」の物作る人々を活写したエッセイ集などを多数上梓しておられる小関智弘さんのようには参りませんが、なにとぞご一読のほど願い上げます。

 

INDEX

【31】桂山光弘氏 (アイシン・エィ・ダブリュ)

【30】太田雅也氏 (東海理化)

【29】佐藤輝夫氏(アスモ)

【28】匠道場「入江塾」(京浜精密)

【27】沖光和義氏(小島プレス工業)

【26】横堀吉晴氏(ミツバ)

【25】小室和春氏(日立AS)

【24】高橋信雄氏(アルプス電気)

【23】高橋伸尚氏(市光工業)

【22】小岡芳美氏(トヨタ紡織)

【21】田中幸孝氏(東海理化)

【20】ブレーキ博物館

【19】ジヤトコヘリテージコーナー

【18】稲吉喜一郎氏(ジェイテクト)

【17】倭将人氏(小島プレス工業)

【16】池田重晴氏(AISIN AW)

【15】日ピスものづくり学校

【14】杉山良晴氏(日立AS)

【13】朝比輝男氏(ジェイテクト)

【12】三輪修氏(デンソー)

【11】安部良夫氏(デンソー)

【10】水野幸夫氏(豊田自動織機)

【09】中村誠次氏(豊田自動織機)

【08】秋山康夫氏(GKN)

【07】緒方栄一氏(プレス工業)

【06】佐藤賢修氏(デンソー)

【05】桂功氏(デンソー)

【04】杉浦悦夫氏(アイシン精機)

【03】都築數樹氏(アイシン精機)

【02】塚本高敏氏(アイシン精機)

【01】大橋正明氏(アイシン精機)