【第8回】 秋山康夫氏(旋盤・機械工 GKNドライブライントルクテクノロジー)
「図面を見て、加工イメージが描けなければ一人前じゃないですね」
第8回は、"蔵の町"で知られる栃木市に本社を構えるGKNドライブライントルクテクノロジー社を訪ね、人事課人材開発企画・訓練指導で活躍する秋山康夫(あきやま・やすお)さんにご登場願いました。秋山さんは栃木県出身で、1948年3月生まれの61歳。67年に栃木富士産業(現GKNドライブライントルクテクノロジー)に機械工として入り、84年生産技術課冷間鋳造立ち上げ、85年処理課班長後係長、96年人事課上級主任、2001年人事課主担などを経て、08年3月から現職。その一方で、1999年に中央職業能力開発協会から「高度熟練技能者」と認定されたのをはじめ、2000年に栃木県の「卓越技能者」として知事表彰され、02年には「とちぎマイスター」にも認定されています。そして、08年11月に国の「現代の名工」に選ばれるなど、栃木県を代表する金属機械加工の第一人者です。
ものづくりを"面白がっている"人がいる。GKNドライブライントルクテクノロジー社の秋山康夫さんだ。貪欲に技能を磨き続け、昨年11月に認定された「現代の名工」を含めると、免許や資格などの取得件数(別表)は、実に25に上る。「小学生の頃から物を作るのが大好きでしたね」と秋山さん。そんな初心を忘れずに、ひたすらものづくりに励んで42年。「ものづくりの面白さを知り、ものづくりが面白いからですよ」。さらりと言ってのける。「でも、ものづくりは私の人生そのもののように思えます」。いまや、ものづくりを楽しんでいるような秋山さんだ。
■今春、初めて教え子が入社
「高度熟練技能者」や「とちぎマイスター」などの技能が買われ、秋山さんはこの数年、栃木県内の産業技術専門学校や工業高校の学生らに旋盤作業の実技を指導している。今春、その教え子の一人が、GKNドライブライントルクテクノロジー社に初めて新入社員として入社したという。「教えた方が入社してきたのは初めてです」。自然と笑みがこぼれる。しかも、自身の母校工業高校の後輩だというから、なおさらだ。
「若い学生が無駄な努力をしなくても、理解して貰えるようポイントを絞って教えています」。教え方にも工夫を凝らしている。その上に、これまでに培ってきた自身の技能を惜しみなく注ぎ込んでいる秋山さん。「それが入社のきっかけになったのであれば、そんな嬉しいことはありませんね」。講師冥利に尽きようか。「でも、一度に教えられる学生は6人くらいかな。だから、加工寸法など実技指導の時に失敗した学生には原因を含め改善点を指摘しています」。
その半面、厳しい一面も。「われわれの世界では図面を見て、加工イメージが描けなければプロとして一人前じゃないですね」。その技能は、GKNドライブライントルクテクノロー社の切削加工の技術基盤として構築され、実践教育のカリキュラムにも標準化されているほどの腕前だ。その上に、秋山さんは同社が初めて取り組んだ冷間鍛造にも携わり、汎用機で学んだ知識や技能をフルに活用して、独力で同社の金属プレス加工の技術基盤を構築するなど、新規分野にも果敢に挑戦する貪欲さも。
■基本技能の反復が第一
どんな世界でも同じだが、ものづくりも「基本技能の反復が第一」と力説する。「基本技能を何度も繰り返すことで、自分の未熟さを知ります。それを克服するために技能を磨いていきます」。そして、「失敗は財産」とする持論を展開する。「失敗を恐れずに本気になって取り組めば、何でもできます。むしろ、失敗は財産です。失敗をバネに、二度と同じ失敗をしないよう努力するからです」。
「職場でも、自宅でも気にかかっている案件のアイデアが浮かぶと、すぐにメモに書きとめる癖がついてしまって。ただ、家族からは嫌がれていますが、つい自宅でも職場と同じようにメモを机やタンスにベタベタ貼ってしまいましてね」。時には、こんなモーレツぶりも。「若い頃にメモを枕元に置いて寝込んでしまったら、そのメモの夢が何度か出てきたこともありましたよ」。これまでの数々の改善や考案も、そんな努力の積み重ねの中から結実した。
■公差を利用して油溝加工の一人作業化実現
例えば、原価低減に大きく寄与した「ベアリング油溝加工の一人作業化」の考案。ベアリングは部品と部品の回転部分を効率良く回転させるために用いられる部品で、従来の油溝加工は一人が旋盤の主軸を手回しで廻し、もう一人が声をかけ合いながらバイト(刃具)で切り上げ溝加工する二人作業で行われていた。秋山さんは、そこで①バイトの改善②回転調整のスイッチコントロール化③対称位置合わせ方法の変更――などを効果的に組み合わせ、油溝加工の一人作業化を実現したという。
具体的には、バイト形状は、実寸法で許される最大許容寸法と最小寸法の差「公差」を有効に使って作製。その上で、両サイドの溝入れバイトは公差最大で、ピッチが大きい溝、つまり潤滑油の油溝として使われる螺旋溝加工は最小でバイトをそれぞれ作製した。両サイドの溝径は公差最大で加工し、螺旋溝径は最小寸法で仕上げ、切削時間の短縮も図ったという。そして、通常はピッチとリードは同じだが、航空部品でかなり使われているリードがピッチの2倍の「2条ネジ」を応用して旋削した。対称位置合わせはケガキ線により合わせることで、簡素化した。旋盤の各ハンドルの所についている目盛板「マイクロカラー」を利用して主軸回転をスイッチでコントロールし、螺旋溝加工を行うなどして、油溝加工の一人作業化を見事、完成させたのだ。
■エンジンへッドには専用工具の考案も
生産性と品質向上を同時に達成した自信作の一つ「エンジンへッドの機械加工」。高度熟練技能者認定など、自らの技能向上に弾みをつけたエンジンへッドの加工技術は、油を加熱気化させたのち、急冷して白煙として広範囲な地域に長時間連続で展張するため,霜害防止用に利用できる発煙機2型に搭載される小型エンジンの部品だ。
この加工には外径溝加工・内径テーパー形状加工に専用工具を考案、工程の標準化を図ったという。外径10カ所の溝入れはマイクロカラーで荒引きし、仕上げの寸法を決めた。また、内径テーパー加工は途中まで内径段付け、内径テーパーの穴くり加工を行った上で、美しい仕上げ面が必要な加工の時に用いる総形ヘールバイトを作製。図面を見て鋼板にケガキ線を引き、製作したゲージ「ガバリ」に合わせて内径加工した。ヘールバイトは、ジャンク(掴み部分)と刃先との間の逆さu字構造がヘールと呼ばれ、この部分がバネとなり、大きな切り込みでも、小さい切り込みでも刃先の負荷を調整し、食いこむこともなく、「上仕上げ加工」ができるのが大きな特徴だ。
物のない時代に生まれ育った秋山さん。遊び道具一つにしても、材料から探し回り、あれやこれや工夫を凝らしながら作って楽しんだ世代の一人である。それが結果的にものづくりの心を養い、ものを作る楽しさを育んでいったという。「小学校に入学した頃から本箱や椅子などを作って楽しんでいました。だから、授業は図工の時間が楽しみでしたね」。ものづくりの素質は、その頃から備わっていた。
■「うちの会社に来ないか」とおじさん
「腕に職を持てば一生食べていけるぞ」。これが、両親が勧めた秋山さんの将来の進路だ。自身もいつの間にか、将来は「腕に職を持とう」とおぼろげながら考えるようになっていたという。だから、高校は地元の工業高校に進学。その頃だった。「親戚のおじさんが高校を卒業したら、『うちの会社に来ないか』と盛んに誘ってくれましてね」。そのおじさんは当時、栃木富士産業(現GKNドライブライントルクテクノロジー)に勤めていた。「今、振り返ってみると、それがおじさんの私への遺言だったように思っています」。
栃木富士産業は、1952年に旧中島飛行機栃木工場を引き継いで設立された地元では有力企業の一つだ。秋山さんは、おじさんの誘いや自宅から通えることもあり、高校卒業後、同社に入社した。入社早々に配属されたのは試作部門。「とにかく、職場は旋盤など機械加工の技術レベルは高かったです。高校でひと通り機械操作は学んできましたが、レベルが全く違っていました。職場のレベルに近づくために入社3年くらいは必死でした」。プロの世界の厳しさを痛感した時だ。そのために、職場のレベルに早く近づこうと、いろいろな仕事を通じて加工技術のレベルアップに励んだことも。
■自信に繋がった技能検定合格
「みんなで技能検定を受けてみないか」。声を上げたのは、職場の5年先輩だ。入社5年目だった。しかも、職場で信望のある先輩だ。その波紋は一気に職場に広まったという。当時、「自分の技能はどの程度のなのか」不安を抱えていた秋山さん。ある面では「渡りに舟」の呼びかけに両手を上げた賛成した。これが、ものづくりの面白さを知るきっかけにもなった。自然と技能磨きにも弾みがかかる。1972年秋、秋山さんは技能検定「普通旋盤2級」に初挑戦した。もちろん、合格した。
以来、次々と資格試験や免許などに挑戦。気がつけば、ものづくりの世界では最高峰の「現代の名工」に認定されるまでに技能を高めていた。そこには人並み以上の自身の向上心も見逃せないが、人との出会いも大きい。「その先輩にはいまも、感謝しています。人生の目標を示してくれましたからね。それに、技能検定に合格すると、自分に自信がつきます」。その後、その先輩は会社を辞め、独立した。「先輩が会社を始めた当初は、休みの日にはよく仕事の応援に行ったものです」。現在も、秋山さんが尊敬する先輩の一人だ。
趣味で12年前から始めた蕎麦打ちも、評判は上々だ。「お蕎麦はとても美味しいですよ」。会社の若い同僚も太鼓判を押す。なかなかの腕前らしい。蕎麦打ちも、ものづくりと同様に真正面から取り組む秋山さん。年末には年越し蕎麦を打ち、隣近所に「日頃の感謝」を込めて振る舞うのが楽しみだという。まもなく、新蕎麦が出回る季節がやってくる。「師と席を分けあひ旅のはしりそば」(佐山文子)。いつの日にか、こんな光景が秋山さんと今春入社した教え子との間で見られるかもしれない。

