【第1回】 大橋正明氏(機械加工・アイシン精機)
秋立つや一巻の書の読み残し
第1回は、アイシン精機試作工場試作部生産グループ加工チームチームリーダー、大橋正明(おおはし・まさあき)さんにご登場願いました。大橋さんは1952年7月生まれ、56歳。1971年アイシン精機技術管理部試作課入社、71-2000年自動車試作部品の機械加工一筋に担当してこられ、加工の基本知識、技能などを取得されました。また、2000年からは改善保全、加工チームチームリーダーとして現場管理、改善指導で活躍されています。1981年複合技能士章、1996年愛知県優秀技能者章、97年愛知県技能士連合会長賞、2007年高度熟練技能者認定証などを授与されたという経歴の持ち主です。
■不器用ですから
「不器用ですから。運が良かっただけです」。機械加工の分野で数々の新機軸を打ち立て、平成19年度には卓越した技能が認められ、「現代の名工」に名を連ねた大橋さんとのやりとりは、まるで俳優、高倉健さんがどこかで言っていそうな一言から始まった。
機械加工一筋に今年で38年。いまも、女子マラソンで活躍した浅井えり子さんの「ゆっくり走れば速くなる」をヒントに、自作した「じっくり取り組めば腕も上がる」を座右の銘に、モノづくりの"技"を磨く毎日だ。
■すうっと浮かんできます
現役バリバリの大橋さん。「皆から笑われますが、ものづくりに夢中になってくると、周りが見えなくなります。そのうちに、匂ってくるというか、さわやかな風が吹いてきて、ヒントがすうっと浮かんできます」。学生時代に陸上競技の中距離ランナーであり、社会人になっても暫くは走っていた大橋さんは、現在は刈谷市陸上連盟委員も務める"陸上競技通"だ。改善や考案のヒントの原点を尋ねたら、屈託なく笑って答えた。「陸上の長距離やマラソン選手が言いますね。レース中の苦しい時期を乗り切ると、逆に走るのが楽しくなってくるって。セカンドウィンドと言います。そんな感じです」。一瞬、メタボを心配する人間には理解できない境地かもなどと余計なことを考えた。
■きっかけは5段変速自転車
その大橋さんが機械加工の道に進んだ端緒は、中学生時代に欲しかった5段変速自転車だったと語る。なんとも世俗的で判り易い。とは言え、ご自身で自転車を作ったことではない。その頃、「大橋君」は新聞配達のアルバイトをしていた。巷には、山田太郎の「新聞少年」という流行歌が流れていた時代だ。アルバイトは自前の自転車を持ち込んだ新聞配達だ。「同級生の一人が、5段変速自転車に乗って同じ新聞配達のアルバイトをしていた。私はまだ普通の自転車。その同級生の自転車のスピードが早くて、欲しくてたまらなかった」。そこで、父親に「5段変速自転車を買ってくれ」と頼んだら、「家の仕事を手伝ったら買ってやる」と言われた。
■旋盤の魅力にひかれて
当時、5段変速自転車は5万円だった。「高卒後、私がアイシン精機に入社した時の初任級よりやや高かった」高価な自転車だ。父親は自宅でプレス型をつくる金属加工業を営んでいた。その工場で初めて出合ったのが旋盤だった。父親に簡単な操作を教わり、旋盤を動かした。それから「自分の思い通りに物が作れる」旋盤の魅力にひかれ、のめり込んでいった。新聞配達、5段変速自転車、そして旋盤との出合いを経て、大橋さんのモノづくり人生がスタートしたのである。
■迷わず「旋盤をやらせて下さい」
アイシン精機へ入社した経緯もふるっている。受験したのは高校三年生の2月。卒業を目前にしてのことである。当然のことながら、就職先は内定していた。募集は若干名。ところが、「いろいろ考えた」上で就職志望先を同社に変更。面接試験の担当者から「希望の職種は」と問われ、迷わず「旋盤をやらせて下さい」と答えたという。このやりとりは、論語風に言うと「吾十有八志旋盤(吾18歳にして旋盤を志す)」の趣であろうか。「とにかく旋盤がやりたかったのです」と、大橋さんはいう。
■旋盤を壊したことも
その「旋盤大好き」の大橋さんがモノづくりにより前向きに取り組むようになるのには、7年はかかった。きっかけは、ひと通り技術を覚え、「職業訓練指導員免許」を取得した2年後に受験した普通旋盤1級試験。「ちょっと自信過剰な時期だった」という。だから、試験の準備を始めたのが、試験日の前日。その練習で大失態を演じた。いまも、その記憶が生々しく蘇ってくるというのだ。ネジ切り練習で300回転/分のところを、ねじ切りレバーと送りレバーを間違え、1900回転/分で操作、旋盤を壊してしまったことだ。
■資格試験に挑戦
もちろん、前日に大失態したおかげもあって、当日の試験には合格した。「合格はギリギリだったんじゃないかな。いつの間にか、職場では先輩格に押し上げられていて、知らず知らずのうちに仕事をなめていたのかもしれません」。以来、それを教訓に、機械加工の工程設計から段取り、加工、測定までの技術を体系的に学び、機械検査1級、NC旋盤1級などの資格を次々に取得した。それがその後、新製品の試作品づくりをはじめ、工法や生産改善などにも活かされ、機械加工の全体のレベルアップに大きな役割を果たしていく。
■科学技術庁長官を受賞
中でも、真骨頂が1994年度の科学技術庁長官賞に輝いた「ピストン端面超仕上げ加工方法の考案」。ヒントは、陸上競技場のグランドを整備するローラーの原理。製品要求は、表面粗さの端面精度が0・8Z。その当時は、例え、ダイヤモンドバイト使用の最大条件で旋盤加工したとしても、バラつき不良37%、端面精度1・0Zというのが限界だった。その「指先で感じられる微かな」0・2Zの精度差をどう克服し、不良ゼロにするか。
■ヒントは学生時代の部活動
大橋さんに「匂って」きた着想が、ローラーの方が良くはないか?というもの。「学生時代に陸上の中距離選手をやっていて、いつもグランドを平らにするのにローラーを使っていましたから。それを応用できないかと考えたのです」。旋盤を利用したバイトによる切削加工を捨て、ローラーの原理へと発想を転換した。「つまり、粗さを削ることによって平らにするのではなく、粗さを押しつぶすことで精度要求に応えることへと転換したわけですね」。ローラーをかけて端面の粗さをつぶし、平らにする根っこ部分は学生時代の部活動にあったのだ。具体的にはローラーの代わりに豆粒ほどの鋼球を作り、それを軸に掌に収まる「ローラーホルダー」(図参照)を自前で製作、新工法として完成させたのだ。
■的中した成果
狙いは的中した。熟練作業者でなくとも誰が加工しても、一定の品質を維持し、不良率37%からゼロに、さらに課題の端面精度は0・3Zを達成する一方、切削のスジ目なしも実現した。社内外から「高精度、短納期試作に成果あり」と高い評価を得たのも、いうまでもない。「でも、最近はNC(数値制御)旋盤でも、この程度の加工はできるようになりました」。改めて、加速する技術革新の波に、大橋さんは舌を巻く。
■教えてもらった技術や技能は吐き出す
モノづくりへのこだわりは人一倍強い。後輩にも"一家言"がある。「私は他人の技術を盗んで学んできたわけではありません。やはり、上司や先輩から教わって技術を磨いてきました」。だから、本業の傍ら、技術や技能の伝承に力を注ぐ。「教わって学んだものは後輩に吐き出さなければ」。後進の指導、育成には全力投球中だ。「全体の技能レベルが上がらないと、決して良い製品や仕事はできません。後輩の皆さんには、学んだものにさらにプラスアルファーして後輩に伝えていく、そんな幅の広い人間になって欲しいですね」。
■マンツーマンで学んだ新人時代
自身も、入社早々の1か月間、10年先輩から刃具づくりをマンツーマンで教わった経験があるというから、なおさらだ。「その先輩はわが道を行くタイプの人で、他人の世話を焼くのは嫌いな方でした。もちろん、仕事はできる方です。それがどういうわけか、私には親身になって教えてくれまして。刃具の造り方、研ぎ方です」。若き日を懐かしそうに振り返る。その先輩はそれから2年後、「自分で物を作りたい」と言って、職場を去った。暫くして、人づてに「瓦職人になった」と聞かされた。愛知県三河地方は、古くから「三州瓦」で有名な土地柄だ。
■ものづくりに王道なし
「触って・磨いて・あとをつくる」。大橋さんのモノづくりの歩みだ。まず、「触ってみる」。旋盤など設備に触る、加工工程を作る、刃具を研ぐ、治具を作るなど、基本技能に触る。次に「磨きをかける」。他の人の仕事を見て自分より良い仕事がしてあれば当然悔しい、その人のその仕事に負けたくないという気持ちを持つ。その上で「さわやかな風、匂い」を感じるまで自分を磨く。そして「あとをつくる」。治具工房の開設、刃具工房の立ち上げなど、跡(形)をつくる。工場内で特級技能士の育成指導、技能グランプリ挑戦者指導など、後(人)をつくる、の順だ。
■まだ発展途上です
「まだまだ学ぶことが沢山あります。ドリル1本とってもさまざまです。知らないことが多いです」。大橋さんの探究心は衰えを知らない。そう言えば、夏目漱石が弟子の芥川龍之介に送った手紙にしたためた有名な句がある。「秋立つや一巻の書の読み残し」。俳人、大高翔さんは自著「漱石さんの俳句」の中で、「オレはこれからもまだまだやるぞ、という漱石さんの決意が込められている」と評している。そんな句境にも通じそうな大橋さんのものづくり人生である。(了)
