【第3回】 都築數樹氏(機械加工・アイシン精機)
<好奇心を旺盛に><失敗はしっかり後始末><技能者は多能工にも挑戦すべし>
第3回は、アイシン精機の都築數樹(つづき・かずき)さんです。1946年1月生まれの62歳、61年に愛知工業(現アイシン精機)技能養成所に入所。64年に試作課に配属され、開発試作品の旋盤加工などを20年余り担当。02年から生産全般を統括する一方、社内に「技能伝承塾」を開設し、年代物の車を新品同様に復元する「レストア」活動などにも取り組み、若手技能者への技能の伝承に尽力されました。これらにより、01年に愛知県から「優秀技能者章」、04年度には「現代の名工」を受賞されるなど、数々の栄誉に輝いた方です。現在は、アイシン・コラボヒューマンソリューション事業部ものづくり人材支援センターに勤務されています。
■「骨身にしみ」るようにして技能を習得
都築數樹さんの出身地は、俳優の故・渥美清さんが「風天」の俳号で「お遍路が一列に行く虹の中」と詠んだ、四国は香川県善通寺市。その故郷を47年前の春、「ものづくりの希望に燃えて」後にした。その5年前の昭和36年度版「経済白書」は、「もはや戦後は終わった」と書き、日本が高度経済成長へと加速した時代だった。「家族をはじめ、ご近所の皆さんの見送りが凄くて、これでは簡単に故郷に帰るわけにはいかないと思いましたよ」。

愛知工業(現アイシン精機)技能者養成所第1期生の都築さん。同期入社約200人の中から選抜試験に合格した20人のうちの1人だ。
1期生は愛知県を中心に全国から集まっていた。同社は07年度連結売上高で約2兆7000億円の大企業だが、当時は約60億円の規模だったという。養成教育は座学、実習を通じて基本技能を教え込まれ、旋盤、フライス盤、研磨、ヤスリ掛けから鋳造、木型まで多岐に渡った。2年生からは機械科を専攻、旋盤、フライス盤などの実習に明け暮れた。
中でも、実習に使う当時の旋盤はメタル軸受けで、最高回転が800回転/分ほどしか回らなかったという。「少し切り込みを多く取ると、切削抵抗でクラッチが滑り、主軸が止まってしまう旋盤でしたね」と、都築さんは懐かしそうに往時を振り返った。
その頃は、まだ超硬バイトは普及していなく、もっぱらハイス(高速度鋼)バイト。そのため、加工時にはしばしば「ビビリ」(振動)現象が発生した。「そういう時には、先生から回転を落とせ、刃先アールを小さくせよ、切り込みを落とせなどと、基本中の基本を教え込まれたものです」。また、ノミで木を削るようにタガネという刃物で鉄を削るハツリ作業の実習では、左手に持ったタガネの頭を思い切りハンマーで叩き、スカ(外す)を食う度に手を腫らしたり血を流したりと、文字通り「骨身にしみ」るようにして技能を身につけてきた。
そんな都築さんも「入社5年目くらいだったかな、<故有って>会社を辞めたくなった時期があり、休暇をとって故郷に帰り、働き口を探したこともありましたが、待遇に大きな差があって、もう一度会社に戻ってきました」という。ものづくりを極め、現代の名工に選ばれた都築さんにも、挫折しかかった時も。
「その時は恥ずかしながら職場に戻り、直属の上司に頭を下げて、一から出直しました。それ以降は迷ったことはありません」。以来、「お客さんに喜ばれる製品をいかに素早く安価に、そして安全に作るかを心がけてきました」と語る、ものづくり"一直線人生"には一点の曇りもなかった。
■“からくりの原理”で省エネを実現
それだけに、都築さんのものづくりへの思い入れは強い。とりわけ、基本技能の習得を重視する。「1つは刃物を研ぐ技能。2つは加工条件を決める技能。3つはワークを固定する技能です。この3つの技能がものづくりには欠かせない必須条件です」。その上で、都築さんは持論の<好奇心を旺盛に><失敗はしっかり後始末(反省)><技能者は多能工にも挑戦すべし>の、こだわり"3カ条"を展開する。
「好奇心を旺盛に」持つ、その現れが「古きを温ね、新しきを知る」を実践することにつながる。そのネタ探しの発想は縦横無尽だ。
たとえば、江戸時代に一大ブームを巻き起こしたという「からくり人形」。内部に収納されたゼンマイなどを動力源に、歯車などを活用して複雑な動作をする人形をご覧になったことがある方も多いはずだ。その「からくり」人形を全国で現存する約3分の2を保有しているのが愛知県だ。
そのせいか同社でも生産現場などを中心に「からくり」研究が盛んに行われているという。「からくり」の仕掛け、特に動力源として重力を使ったりする仕掛けがラインの省エネ、生産効率の向上に向けた改善に活用できないかという着眼も、そんな土地柄から生まれたのだろう。都築さんは「動力を使わないで作業するにはどうしたら良いかと考えていたら、自然と"からくりの原理"が浮かんできたわけです」と話す。
数多い成果の中から2つを都築さんは熱を込めて作動原理から紹介してくれた。

一つは04年にメリーゴーランドをヒントに、製品の自重だけで動くコンパクトな冷却装置を開発し、歩行低減や省エネを実現したという「1動作2作業のからくり君」(ローター冷却台)。
その原理は<樹脂成形後のワークを受け台に投入すると、受け台下のローラーがワークの重量で傾斜カムを駆け下りようとする><次に回転ストッパで止まっている冷却されたワークを取ると、ワーク4個分の重量が傾斜カムを駆け下りようとする回転運動に変換され><カラの受け台は登りの傾斜カムを駆け上がり、次の回転ストッパに当たって止まる>という仕組みだ。
改善前のローター冷却は、ロボット・工場エアーなどのアクチュエーターで行っていた。しかし、長さが3メートル強と冷却装置が大きく、作業移動に時間がかかったほか、コンベアでワーク搬送するため、モーターを動かす動力源も必要だった。
そこで、多種少量生産に対応するための装置のコンパクト化、工程飛びのない先入れ先出し式、自動搬送などを着眼点に、改善策を具体化した結果、樹脂成形工程と組み立て工程とが隣接し、2秒/サイクルに歩行時間を短縮した上に、動力源も必要がなくなり、狙い通りの成果を上げた。
もう一つは、日本プラントメンテナンス協会主催のTPM(トータル・プロダクティブ・メンテナンス=全員参加生産保全の略)ブラザで最優秀賞を05年に受賞した「自動圧入からくり君」。正式には「S/Cのオイルシール&ベアリング圧入工数の低減(からくり)」の考案という=動画を参照。
この改善の要諦は、改善前に工数0.06H/台だったのを0.01H/台に時間を短縮し、年間では180H/年の成果を上げ、西尾工場補給S/C(スーパーチャージャー)の組み付けにも水平展開されるなど、社内外から高い評価を得た自信作の1つでもある。
■技能継承の危機に若手技能者の育成に乗り出す
これらのからくりの考案もさることながら、47年間のものづくり人生で最も印象に残っているのは、70年頃に図面化されたエンジンの冷却機能を持つ「ファンカップリング」のラビリンス部の旋削加工だという。シリコンオイルを媒体とする流体継手の重要部位である幅0.6、深さ2.4のラビリンス部の旋削加工のことだ。薄肉、深溝のため、バイトの刃先形状に制約が大きく、しばしばビビリが発生し、面精度に問題が出たほか、切り粉の詰まりでバイトが折れたり、ラビリンス部の肉が欠けるなど、さまざまな難題に直面していた。

都築さんはそこで、上司に指導を仰ぎながら、試行錯誤を繰り返した結果、バイトの切り刃角、逃げ角などを工夫したり、新たに完成バイトと組み合わせた一体バイトも考案した。加えて、切り粉を掃き出すエアーノズルを新たに考え、設計要求に応えた。「あの頃の設計者は、自分が設計した部品が果たして作れるか否か、一嬉一憂しながら設計していましたね。だから、設計者は生産現場に足を運び、私たち生産現場の人間と常に密着して自分の目で確かめ、設計の完成度を高めていました」と、70年代の"クルマづくり"の一端を披露する都築さん。

団塊世代が大量退職する“07問題”を控えた02年、都築さんは「このままでは技能の伝承が危うくなってしまう。なんとかしなければ」という危機感を持った。狙いは勿論「熟練技能を若手に伝承しよう」だ。職場に「技能伝承塾・治具工房」を開設するなど、若手技能者の育成に乗り出した。「鉄は熱いうちに打てと思って新卒者を塾生に据えました」。
狙いは無論「熟練技能を若手に伝承しよう」だ。ベテランを指導者に、治具づくりを通して刃物の手研ぎをはじめ、機械加工・ヤスリ仕上げなど、幅広い職種をこなせる若手技能者の育成を行うというこの発案は、工場で2年間かけて体系的に進める多能工化教育カリキュラムとして定着している。