【第9回】 中村誠次氏(電気溶接工 豊田自動織機)
ビードは「きれいに、きれいに」をモットーに溶接の技を磨いてきました
第9回は、豊田自動織機の中村誠次(なかむら・せいじ)さんです。中村さんは、長崎県出身の1952年9月生まれの57歳で、金属と金属を溶かして接合する溶接分野の第一人者です。1968年4月職業訓練生として入社、69年4月共和工場産業車両製造部製造課電気溶接工、70年6月高浜工場同、86年1月同組長補佐、91年2月同組長、2003年1月同・CX(チーフエキスパート)級などを経て、04年8月から同・CX級WL(ワーキングリーダー)です。その傍ら、1969年3月に社長表彰の訓練生成績優秀者賞を受賞したのをはじめ、75年11月鉄工・製缶作業愛知県知事賞、76年、82年、85年、89年と愛知県溶接技術競技会技能者賞を4回受賞、2007年11月愛知県優秀技能者賞、08年2月日本溶接協会支部長賞など、数々の栄誉に輝き、同年11月には同年度の「現代の名工」にも認定され、ものづくりの世界で頂点を極めています。
■今秋、「技能五輪国際大会」で教え子が銅メダル獲得
「募集しているぞ」。何気ない父親の一言から溶接の世界に飛び込んだ中村誠次さん。生来から素質が備わっていたのか。「入社1年目の職業訓練生の頃から、溶接の面白さというか、面白味というのを覚えてしまって」。以来、溶接に「どっぷり」浸かって41年。溶接作業のロボット化をはじめ、機器改善、技能教育などでも多彩な能力を発揮。今や、溶接が"天職"の観がある中村さん。昨秋はそんな実績が高く評価され、「現代の名工」に輝いた。そればかりか、後進の育成にも全力を注ぎ、これまでに技能五輪全国大会で金メダリスト2人を育て上げ、今秋には教え子の一人が技能五輪国際大会の溶接職種で見事、銅メダル獲得の快挙が続いた。「ほっとしています」と、満面の笑みを浮かべる中村さん。溶接人生にまた、新たな1ページが加わった。
のどかな田園風景が周囲に広がる豊田自動織機の高浜工場。その工場内の一角に設けられた「溶接道場」が、どことなく誇らしげである。「えぇ、ここで技能を磨いた若手が技能五輪国際大会で銅メダルを獲りましてね。今日は、その報告を兼ねて森さんは名古屋の愛知県庁に挨拶に出かけています」。溶接道場の道場師範を務める中村さん。若手の快挙に中村さんの口調も滑らかだ。カナダのカルガリーで9月1日から6日まで開かれた「第40回技能五輪国際大会」の溶接職種で銅メダルに輝いた若手とは、同社の若手社員、森裕一(22)さんのことだ。
■「ぜひメダルを」の周囲の期待に応えて教え子が快挙
「若いですけど、森さんは素晴らしい考え方の持ち主ですよ」。中村さんの"森評"はすこぶる高い。「技能五輪国際大会に出場するにはまず、レベルの高い愛知県の溶接競技会を勝ち抜かなければなりません。森さんはそれを勝ち抜いて全国大会を制して日本代表の切符を手にしたわけですから、凄いですよ。溶接技能者にしてみれば、大変なことです。若い頃の私なんかは、愛知県の溶接競技会止まりでしたからね」。それだけに、森さんへの周囲の期待は会社を含めて大きく、「ぜひ、メダル獲得を」の声が上がっていた。森さんはそんな期待に応えて銅メダルを獲得したのだ。
ちなみに、森さんが銅メダルを獲得した「溶接職種」はステンレス鋼、アルミニウム、軟鋼材料を溶かして接合する競技で、時間内に4課題を製作して技能を競うものだ。ただ、金属は熱により膨張や収縮をしたりするため、作品に"ひずみ"が生じ易く、精度を出すことが難しく、技能の習熟に加え、金属材料に関する幅広い知識も求められるという。審査は寸法精度や耐圧、溶接作業で溶着部分にできる帯状の盛り上がり「ビード」と呼ばれる外観形状、内部欠陥の有無などが対象である。
■溶接人生の土台をしっかり築いた訓練生時代
長崎県出身の中村さん。愛知県にやってきたのは42年前の夏、中学3年生の時だった。父親の勤める炭鉱が閉山したからだ。父親の再就職先が豊田自動織機だったことから、中村さんも家族と一緒に長崎県から愛知県に移住してきたという。移住してきてから暫く経ったある日、父親から「うちの会社の職業訓練所の溶接科というところで新入社員を募集しているぞ」という募集情報を聞かされた。が、父親は「受けろ」とは、中村さんには言わなかった。その時、中村さんはものづくりのイロハ、ましてや溶接のことなどは何も知らなかったが、就職先を決めなければとの思いから入社試験に臨んだという。
中村さんは1968年4月、職業訓練所溶接科の訓練生として豊田自動織機に入社した。訓練期間は1年。同期生は全国から15人が集まった。実技と座学を通じて溶接を専門的に学んだという。「あの1年間で溶接の基礎をしっかり学んだと思っています」。中村さんは懐かしそうに振り返る。それが、結果的に溶接の世界で大成する土台を築き、中村さんの溶接人生をがっちり下支えしていたのである。
■入社1年目から「先生より巧いぞ」の評価も
訓練生時代にはこんなエピソードも。溶接練習の時である。溶接作業の際、金属と金属との溶着部分にできる中村さんのビードの外観形状が、先生の目にとまった。思わず、先生は「先生よりも巧いぞ」と声を上げ、中村さんのビードを絶賛したという。入社1年目の訓練生に、である。入社早々から、ビードは「きれいに、きれいに」を心がけて溶接の練習に励んでいた中村さん。その姿勢が先生から高く評価された上に、「後輩のために見本になるようなビードを作ってくれ」と、注文されるまでに溶接技能を高めていたのだ。俄然、中村さんの向上心に"火"が点いたのはいうまでもない。
69年の卒業と同時に配属されたのが、共和工場産業車両製造部製造課。1年後にはその後、仕事の上でホームグランドになる高浜工場の同じ部署に異動するが、中村さんが一貫して取り組んだのは溶接作業。「同僚も先輩も優秀な方が多かったですから、共和工場でも、高浜工場でも仕事に関しては刺激的なところでしたね」。そんな中で、中村さんがいち早く着目したのは、溶接作業のロボット化だ。1978年頃から溶接作業のロボット化が社内で主要なテーマに上り、本格検討が始まったのだ。以来、中村さんはこれまでに培ってきた溶接技術をフルに駆使し、溶接のロボット作業化に向けて最適条件の設定づくりなどに精力的に取り組んでいく。
■課題を克服して溶接のロボット化へ
具体的には、フォークリフトの中心作業であるフレームやマストの厚板(t=19mm以上)鋼板溶接、多層溶接の「ロボット溶接作業」化への移行だ。フォークリフトは荷物を運ぶことを目的にした車両で、運転席の前や横にフォークというアタッチメントを装備し、荷物をフォークで受けて上下積載移動が可能な荷役運搬車のことだが、その胴体部分を構成する部品「フレーム」や、その前部にあり、荷物を高所に揚げ降ろしする荷役装置の「マスト」などの作業は、溶接が大半を占める。このため、溶接作業のロボット作業化が社内で急務な課題に浮上していた。
例えば、多層溶接は、大脚長(脚長は継ぎ手の隅から溶接ビードの長さ)ビードを作るためにビードを2つ以上重ねる溶接のことで、ロボット作業化への移行にはビード継ぎ、脚長などの強度確保のために、トーチの角度、速度、運棒などの溶接条件の設定という難題を克服する必要があった。そこで、中村さんは品質課題などを解決する独自の溶接法を策定するなどして、ロボット作業化を実現し、軌道に乗せたという。さらに、その「ロボット溶接条件表」をもとに、高浜工場の厚鋼板溶接ノウハウをロボット教示や溶接条件設定に数多く盛り込むとともに、溶接機器の改善整備にも取り組むなど、自身の溶接技術をフルに活用して実現した。
■溶接以外の技能も取得した「複合技能士」
また、中村さんは溶接技能に加えて1982年に1級曲げ板金作業技能士、94年に1級製缶作業技能士、99年に1級構造物鉄工作業技能士などの技能検定を次々と取得、2職種(2作業)以上の技能検定に合格した技能者に与えられる「複合技能士」にもなった。そのために、通常業務をこなしながら地元工業高校の定時制に通って幅広く知識を学んだ努力家でもある。
また、複合技能士として後進の育成にも熱心に取り組み、技能五輪全国大会では構造物鉄工、電気溶接の2職種で2人の金メダリスト、さらに今秋の国際大会では銅メダリストを育て上げるなど、その指導ぶりは折紙つきだ。このため、愛知県内でも後進の育成では有数の指導者の一人として数えられている。「一心不乱」が、座右の銘の中村さん。後進への教育にも全力投球で当たる。その原動力は自身の向上心だという。
■迷った時に「溶接しかない」で踏みとどまる
今年3月、同社で初めて開催された「全社技能競技会」。中村さんは実行委員の一人として企画段階から参画、これまでに培った経験を活かし、全社的な技能向上に貢献したことも記憶に新しい。そんな中村さんもかつて、ものづくりに挫折しかかった時も。「若い頃の一時期、知人からの誘いもあり、会社を辞めて転職を考えたこともあります。そんな時、父から『じゃ、会社を辞めて、お前に何ができる、ほかにできることがあるのか』と、たしなめられましたね。その時、思いましたね、私には溶接しかないと」。今も、父親への感謝の気持ちは人一倍強い。
「42年前に長崎から愛知県にやってきて、私の運が開けたように思っています。その意味では、愛知県に来ることを決断した父には感謝しています。息子も、同じ職場で溶接の仕事に就いています」。中村さん一家は、親子2代で溶接人生を歩んでいる。「親の姿を見て子は育つ」というから、息子さんも中村さんの影響を受けたのであろうか。季節は秋本番。「稲妻やかよふあしたのはらみ稲」(池西言水)。江戸時代から稲妻がよく走る年は豊作だといわれている。今年も、実り豊かな秋を迎えた中村さんだ。
